思考力

蜘蛛の配達ミス

 

謎の「寒気」。本当に悩まされている。寝るときの寒さは改善されつつも、朝というか、眠りの状態から、少しの覚醒状態に入ると寒くて仕方がない。寒さで起きているのかも分からぬが、この「寒さ対策」として、マットレスの近くに厚手のパーカーを用意していて、それを着て二度寝をする。もう、6月も半ばにきているというのに、自分だけが世間から取り残されているようで、あまり良い気はしない。もちろん、「難病」であるのならば、私の気分のアップダウンの治療とともに付き合わなければならない病気が増えるわけだから、やはり大きな不安が募る。

今日、今から出発して、数時間後に母の肉体は燃え去り、骨となって、この書斎の隣の部屋に来る。ここ3ヶ月程度続いている、原因不明の寒気と精神的なショックで、葬儀の時に耐えられる自信はない。だから、葬儀へ行く直前の今、ブログを作成し、書きそびれをしないように「保険」をかけている。

今日も真夏日なのだろうか、起きてしまえば、普通の人と同じように「暑さ」を感じるのだから、なかなか皮肉な症状である。こうなってくると、自分の身体の弱さを痛感するし、自分が老いている事も否めない。ただ、この病状の最たる原因は、やはり心の波を穏やかにする「薬」が原因の「寒さ」なのだと思う。これから乱れることを免れない心のブレた波長を整える薬に、私の肉体は耐えられるのだろうか。

とにかく、私の身体を気遣ってくれる母だった。中学校の頃、釣りでカサゴのヒレが刺さっただけなのに、お金を渡して病院へ行くように言ってくれたし、何か私が不調を訴えれば、すぐに医者で診てもらうように言ってくれた。今考えると、やはり「過保護」。まるで、虎の子のように育てられた自分は、完全に母とは「共依存」の関係であって、世間で比喩にされている「お金」を「虎の子」と喩えるくらい、惜しみなく病院の治療費として診察代を出してくれた。魚のヒレなど、消毒液と絆創膏で様子を見るだけで良いというより、そのときの傷は、水で流せばいいくらいの症状だったというのに。

今日は、酷く起きづらかった。いつも起きる時間は、昼の12時くらいで、今日は、何よりも「遅刻」は、厳禁。数回目覚ましに起こされ、しぶしぶ起きた余力を振り絞り、49日までの仏壇が綺麗に飾られるよう、最期の仕上げをし、スタッフが使用するかもしれないトイレの掃除もした。

ここ何日か部屋に現れる「アシタカ蜘蛛」。今日も、でかいカラダで微動だにせず畳の上に居た。蜘蛛が出ると、幸運の運び屋として喜んでいたが、母の他界を考えれば、蜘蛛が幸運を運ぶという考えが間違っていることがわかる。風水というのも、なかなか正確というわけではないようだ。ただ、掃除をして母を迎え入れるということは、とても大切なこと。日頃から「断捨離」と「掃除」をしていて良かった。

寝過ごすことを心配してかけていたiPhoneとiPadのアラームが、数回鳴った。さすがに、これから寝込んでしまうこともないだろうし、あとは、レンタルした葬式用の礼服に着替えて出発するだけだ。さぁ、出かけよう。母の輪郭を最期に視る大切な日。最期の顔に向かって、「ありがとう」と言いに行こう。

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