思考力

時間泥棒から自分を救いとる

「ファミコン」が、我が家に来たのは早かった。発売日に買ったようなもので、こんなにもゲーム業界を賑わせる代物と化すとは、全く思ってはおらず、我が家のファミコンのコントローラーは、四角いゴム製のボタンだった。その後、プラスチック性のボタンに変更になったのだが、その理由は、ゴム製のボタンを力強く押すと、ボタンが滑らかに動かなくなるというのが原因だったという噂はあった。今、四角いボタンのコントローラーのファミコンがあったら「プレ値」が付くかもしれない。

当然、一家に一台のファミコンになる前に、我が家に導入された「ファミコン」なるコンピューターに、クラスの友人たちが集まって来そうなものだが、私は「学童クラブ」に通っていたので、学校の友人と遊ぶ時間が限られ、家もゴミ屋敷だったので、人を招待できずにいた。その後、「ドラクエ」と「ファイナルファンタジー」の一騎打ちが始まり、今では「クソゲー」と呼ばれる攻略不可能なソフトを買ってしまった友人もいた。その後、「スーパーファミコン」が登場。私が高校に入学した時に発売になったのだろうか。コントローラーのボタンが「4つ」になっている機械を、高校生になって触れてみたところ、ずっとエンピツを持ち続けていた高校受験後の手に、変な違和感を感じていたものだ。

 

その後、「ストリートファイターⅡ」が、爆発的人気となり、ゲームセンターでは、腕自慢の高校生たちが、見知らぬ対戦者とバトルを繰り広げていた。バグなのか何なのか分からないが、簡単に必殺技を決められる「ハメ」というテクニックは、御法度であり、それを使ったとしたら乱闘になってもおかしくはなかった。「ストⅡ愛好者」の暗黙のルールである。『ろくでなしブルース』が終わるか終わらないか、『ビーバップハイスクール』が下火になる頃だったので、知る限りでは、殴り合いに発展することはなかった。

私の自宅ゲーム歴は、この「高校一年」で、ピタッと止まった。ファミコンに触れたのが早かったし、様々な友人宅のリビングでゲームを楽しんでいたので、私のゲームへの依存は止まらないと少し感じてはいたのだが、何気に高校一年の段階で、煙がシュワっと消えるが如く、おさまっていた。ただ、その後、学校を早退して「777」に走っていったのは事実。結局人生を無駄にしていたことに変わりはない。金銭的ロスを差っ引いた状態で考えて、ゲームもパチンコも、貴重な「時間」を奪っていく。時間は、何よりも変え難い財産。取り戻すことができない。特に、パチンコの依存性は「WHO」が病気として認めているわけであり、その中毒性は計り知れない。有限の時間を、無限に吸い尽くす。私も、現在、スッパリやめられていることを奇跡的に思うほど熱中し、多くの時間と信用と時間を失った。

ギャンブルは、昔から非難されていたが、今や「ゲーム依存」でさえ「WHO」が病気と認めている。悪い習慣というのは、どこかで断ち切らなければ、のちの人生で、強い悪影響を及ぼす。すると、習慣を変えることで、人生の方向はいろいろな方向へ変化していく。身についた習慣の影響力は凄まじく、良い習慣の意識を高めることで、自己肯定感やポジティブなエネルギーを上げることができる。果ては、完全な自己修復へ向かって、意識的であれ無意識的であれ、身についた良い習慣というのは、人生にポジティブな影響を与える。そのような反復によって習得された行動から、自分の長所を探し、そこを伸ばす努力ができれば、「自分の能力の輪」の中での行動力が身に付き、やがて自分の適正ラインが明確になる。自分の短所を克服するより、自分の長所を活かして生きる方が、明らかに時間の有効性を上手く活用できていると言える。

「自分の能力の輪」という表現は、投資の神様「ウォーレンバフェット」の素晴らしい言葉であり、哲学の研究と心理学を組み合わせのて思考回路を整える「ロルドフ・ロベリ」の新刊『News Diet』でも、やはり自分の能力を見極めて重要事項を優先し、この範囲の中で思考を構成することを主張している。彼の主張は、常に気持ちが良いほど断定的であり、著書『Think Clearly』の中でも、有限の時間の中で、自分の向き不向きの存在を知り、それを踏まえた上で行動することの重要性を論じている。

その著書の中で語られている「核」となる部分は、タイトルの通り「ニュースを一切排除する」ということだ。自分にとって知るべき重要事項のニュースというのは、ほとんどの場合、世間のニュースとは無関係であり、メディアの発する情報にはリターンが無い。ゲームやSNSをやっていて、知らぬ間に時間を奪われて罪悪感に苛まれることから、最近では「SNS断食」の言葉が造語として使われるほど、スマホの中毒性から遠ざかろうとし、不要なアプリを積極的に削除している人も多くなった。

ただ、最新のニュースを得るために、テレビや新聞などのメディアから情報を得ることは関しては、知的な行動習慣だと考えられている。この著書が指摘している部分は、そのような定説から生じる固定概念を、根本的に変えることことである。あくまでも、重要な情報というのは、自然に自分の耳を媒体として届く知識であり、受け手の興味関心を誘発させようとするメディアの情報戦略の全ては、時間を泥棒しようとしているトラップだ。世間一般に騒がれているニュースに踊らされている間は、自分の思考力を鈍らせて、自分の中で知るべき重要事項の境界線を曖昧にさせられている状態。世間一般で生じた問題に右往左往して、目の前にある課題を先延ばしにしようものなら、自分はメディアに騙されて行動してしまっているという認識を、強く持たなければならない。

インターネットが普及した昨今、必要な知識や情報は、自分で検索して入手できるのであり、不要な情報を遮断することは、十分可能。ネガティブな情報に比重が置かれたニュースが多いのは、日本語の格言にもあるように、「他人の不幸は蜜の味」という考え方を巧みに利用したメディアの戦略であり、そのような情報を受け止めて、否定的で消極的な情報が無意識のうちに染み付いて、思考回路に錯覚が起こり、それが原因で負の連鎖が生じてしまう。だから、ニュースを一切遮断すべきなのだと著者は、主張している。確かに、Yahooトピックスの見出しは、ネガティブなタイトルで、思わずタップしてしまうものだ。

また、自分の気持ちが揺れ動いている時に、不要な情報が多く入ってくれば、人間の判断力というのは落ちるという結果が出ているそうで、その鈍った思考回路にネガティブ情報が、ドバドバと脳に垂れ流しになれば、行動そのものが奥手になり、後手後手の考え方に留まってしまうことになる。当初のポジティブで正しい思考が、全く正反対のベクトルへ進んでいってしまうのだから、東京から名古屋に向かうはずなのに、全速力で新潟へ走ってしまう皮肉な結果になってしまうとも言えよう。

嘘の情報も多い。最近では、その識別が非常に困難になってきている。ネットショッピングをすれば、購入履歴から、コンピューターが、勝手に次のおすすめ商品を表示し、知らぬ間に偏った嗜好で自分の観点が固まってしまう危険性がある。AIの知能が、数年後には、さらに加速度し、今よりもっと人間の興味・関心を惹きつけるようなニュースが溢れ返ることは免れない。そして、そのニュースがフェイクニュースであったとしても、信じ込んでしまえば、人間の潜在意識などは簡単に変えられていくことだろう。これは、非常に恐ろしいことだ。

では、私なりに考える、そのような思考の偏りを防ぐための方法を出してみる。それは「書店」に足を運ぶことだ。書店には、様々なジャンルの本が置いてあり、それは、自分の趣味嗜好とは関係がない。だったら、書店の様々なジャンルのコーナーで、実際に本を手に取り、自分の考えをニュートラルにしておくことが重要だと考える。最近では、ブックカフェのようなシステムで、立ち読みどころか、併設の喫茶店でゆっくりとお茶を飲みながら、じっくりと本の内容を知り、満遍ない知識を得られる。

ニュースに振り回されないためには、ニュースを一切遮断すること。かなり極論のように感じられるが、それくらいの覚悟がなければ、現代の自分と関わりのない情報に溺れることになってしまう。思考をアップデートするためには、良い思考回路でポジティブなエネルギーを上げなければならない。他を圧倒するような成功法を手に入れるためには、大衆が得ているような情報に価値はない。

時間を味方につける「複利効果」を実感するためには、不要な情報になどに惑わされているヒマなど無い。成功者の人生の抜け道というのは、非凡な生き方で切り拓かれている。派手な暮らしを追求しろと言いたいわけではない。賢く効率的に人生を豊かに送るためには、他人の造った情報などに意味はなく、自らが情報発信源となって生きることが重要である。

 

 

 

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