思考力

うつらうつらと書き記す

 

眠い。とにかく、中途覚醒が酷くて眠すぎる。目が覚めたから、ブログを一本仕上げようと、手書きの原稿を作り始める。すると、一気に眠気に勝てなくなり、いつの間にか眠っていて、次に目が覚めても朝日は昇っていない。スタジオジブリのBGMをかけて、再度穏やかに眠れるほど、ディズニー映画は優しくもない。こんな時に、どうやって自分の睡眠障害との距離を保つべきなのだろう。このような揺れ動く綱の上で、注目を得るためにダンスをしようとは思わない。常に自分の体調に注視をし、ブレない自分をキープしなければと思う。

やはり、自分の体の中に眠っている狂いかけた「体内時計」であれ、どこかでそのゼンマイを捻りつつ、自分がなすべきことを遂行することが大切なことだとは、十分分かっている。どんなに人に嫌われようが、自分という存在は、自分から決して離れられないのだから。勝手に幽体離脱を求めれば、いとも簡単に綱から落下してしまうだろう。弱い自分と向き合っていくのは、本当に難しいことだが、それなしに生きていけないということが事実なのであれば、「インドボード」とか「グーグボード」とかの上で、グラグラしているバランス感覚を強化し続ける「練習」をする他はない。

少子高齢化が進み、日本の生産性が下がっていくのであれば、それこそ日本という国の受け皿が揺らいでいくわけで、その皿の上で立っていられなかったヒトが、「無敵な人」とかいう、どこかで包丁を振り回す恐竜となって増えることになってしまうであろう。努力が努力として認められるためには、それ相応の強さを持っていなければならない。また、それと同じように、その努力の中で、成し遂げられないという気持ちが溢れ出してしまったのであれば、撤退する勇気を持つ術を学ぶべきだ。撤退を負けだと感じてしまうことはツライことだが、他者を傷つけて、その人の人生を台無しにするようば術を学ぶべきでは絶対にない。

多忙な生活の中、会社を辞めたいと思いながら、たまも休みではスマホをいじることばかり。作れるはずの自分へのリラックスや自己研鑽の時間を殺していることにさえ気づかなくなる。もはや、そこまでして自分が苦しいのであれば、スマホを捨てて、白髪を増やさないような人生のあり方をもう一度考え直さなければならないと言えるのではないだろうか。自分を生かすも殺すも自分次第なのだから。

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