思考力

3作目に想い願う誓い

SNSの発信源として、「note」というプラットホームを付け加えた。軽く、「note」を説明すると作り手が創作した作品を、書い手が買うという仕組み。その創作品は、無料で公開することもできる。つまり、クリエーターが文章や画像、音声、動画を通して、ユーザーがコンテンツを楽しんで応援できるというメディアだ。

私は、過去に2冊本を出版している。1冊目は、今では決して読み返せないほど恥ずかしい駄作であり、多くの批判や悪いコメントを受けた。この本に関して書いていたら、今回の記事が、何万文字にでもなってしまうほどなので、これ以上、1作目についての言及は避けたい。2冊目に関しては、誰にも知られぬよう、ひっそりと出版した記念の小説だった。30部発行したが、1冊しか売れずにお蔵入りとなった作品だ。その1冊は、当時、唯一の友達と言える人が購入してくれた本だ。

もはや、1冊目は、私の人生から消滅させたい駄作。ただ、2作目に関しては、今読み返しても非常に抽象的で、書き手の私ですら意味が分からない作品だった。こちらは、いつか書き直して、世に再出発してもらいたいと思っていた。昨日は、一日中、その作品を、「note」に打ち込んで、とりあえず同じ作品としてアップロードできた。やはり、パソコンのキーボードで、再復活させたとしても、意味不明な文章であることに変わりはなかった。だから、大筋の内容を変えず、物語の肉付けをする感覚で、小説自体をカスタマイズした。

すでに、大恥をかいた1作目で、言葉を無責任に発射させれば、思わぬところで無作為に人を傷つけたり、誰かの怒りを引き起こすことになるのは分かっていた。だから、2作目を改良するときは、かなり慎重になる。すると、毎日毎日、書いているブログの効果が顔を出し、物語に整った一本の流れができるようになった。

本来、文筆家というのは、本が好きで好きでたまらない読書家が、自分でも本を書いてみたいという熱望から筆を取るのであって、自分から軽い気持ちで書くものではない。自分から執筆をして生み出す自費出版というのは、限りなく不自然だ。印税収入目的で、薄汚い心で書いた文章など誰が読みたいと思うだろうか。インドアで身体を動かすことが好きな自分が、ジッとしながら読書をするというのは、なかなか難しい。

読書に関して、そのような意味合いで、不適合な性分の私が書く小説であれ、誰かに読まれているという緊張感で、パソコンのキーボードを弾かなければならない。書くということは、重い責任がのしかかるのだ。

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