思考力

仮面舞踏会

考え方や視点の置き方次第では、現代社会において、不合理極まりないことばかりが目につくことが多い。「他人の不幸は蜜の味」という言葉があるように、人間は、ネガティブな情報に飛びついてしまう習性がある。そこを意図的に突くことで、マスコミは視聴者の興味関心を自分の方向へと向ける。芸能人の幸せな結婚よりも、芸能人の不倫や不祥事の方に意識が飛びやすく、そこに乗っかってしまえば、自分の人生そのものまでも、負のベクトルへまっしぐら。あえて、多少の炎上を覚悟して、言ってはいけない情報を秘密の情報だという素振りでバラまけば、一気に悪いウワサが飛び交うようになり、そんな「悪事千里を走る」状態で、盛りに盛った悪評が「一人旅」をしていく。

科学的データには、しっかりと数値化された裏付けの証拠があり、そこには事実として認めなければならない“fact”が含蓄されている。それを否定してしまうのであれば、自分が勝手に解釈した先入観に雁字搦めに縛られてしまう。ただ、そのデータというのが、どこに焦点を合わせているのかということまで正確に知ることも、同じくらい重要になる。

「このグラフを見ればわかるけど、偏差値70でも落ちてしまう志望校だってあるのだから、もっと授業を受けよう」と勧誘されれば、何となく不安になって継続受講に誘導される羽目になる。別に、その後の勉強は、自分でやれば十分合格ラインにいる生徒であっても、そうやって言い伏せようとしている「詐欺まがい」の塾も多い。

サービス業で数字も大事だと思うが、いたずらに生徒を不安にさせ、その生徒が本番で緊張のあまり実力を発揮できなければ、本末転倒の状態。別に、生徒の幸せのことを度外視した、数字ばかりを優先するような経営方針の塾など、最初から行くべきではない。ひどいところになると、推薦で入学が確定していても、あれやこれやと保護者を煽り、継続して通塾することを勧める塾もある。まぁ、そんな真の教育の目的を見失った企業に嫌気を差し、自分の事業を立ち上げたのだ。そんな不幸にハマリたくなければ、シッカリと自分の生きる指針を明確に持つことは、非常に大切だと言える。

明るくて幸せな人生とは何だろうか。最近、そんなことをよく考えている。すでに、現代社会では、物を所有するということ自体に価値は無くなってきており、物を「シェア」する時代へと進んでいる。AIで管理された自動運転自走車が、人間が運転するよりも、遥かに安全に目的地まで運んでくるようになるし、そんな車内でヒーリングミュージックを聴きながら、自然と眠りこみ、心を落ち着かせて目が覚めたことには、目的地に到着。気分は、爽やかでポジティブな気分でオフィスのコーヒーを優雅に飲める。もっと言えば、会社の建物そのものが不要になり、AIによって識別されてコーディネートされた、理想の部屋の中で全て完結するようなビジネスの未来が待っているかもしれない。いや、そんな時代は、もうすぐそこまで確実に来ている。これを「遠い未来」「夢の世界」と嘲笑していれば、固定概念のカタマリの特性を持つ、典型的な「Nipponジン」のまま止まってしまうことになるはず。

今や、従来の価値観が崩壊していることは、誰もが薄々気づいている。でも、今のままで何とかなるという、悪い意味で楽観的に生きていれば、善良な人とそうでない人の区別もできないま、自分のアタマで考えることなく、架空の「お金持ちになる秘策」を、ありがたく頂戴し、『金欠こそ最強のクスリ』などの本の被験者データーのヒトリになりかねない。SNS等で、数えきれぬほどの見ず知らずの人が、個人個人で無限に発信されている情報が溢れるような時代の中、架空の情報を徹底的に切り捨て、「絶対」に正しい情報だと判断し、取り入れるために、我々は何をすべきなのだろうか。これを常に、しっかりと考えなければ、搾取され続ける変われない自分の殻を壊せなくなってしまう。

誰もが例外なく、自分の幸せと自由を追い求めている。ただ、十人十色の価値観があるわけだから、絶対的な唯一の幸せの定義などあるわけがない。そう考えれば、個々のライフスタイルに合わせ、自分の世界を変えていく必要がある。ここで肝に銘じておくべきは、他人は変えることはできないということだ。しかしながら、自分を取り巻く環境というのは、意外とあっさり変化させることができ、その時その時の自分を使い分けることに「慣れる」ということで解消できるのかもしれない。

『アドラー心理学』では、「全ての悩みは、人間関係から生じる」と考えられている。それならば、その場の環境に応じて、いろいろな仮面をかぶりつつ、自分の中では、決してブレない価値観をキープしていることが、かなり重要な鍵を握っていると言えよう。学校や職場、先生や上司、家族兄弟間の関係において、それぞれ人格は変わっているのであり、いろいろな仮面を被っているのは、人として無意識にせよ誰もがやっていること。だから、罪悪感など感じる必要は、微塵もない。むしろ、善人ぶって行動していても、裏では悪人である仮面が剥がれていないのであれば、それは紛れもない詐欺師であり、そのような生き方を続けていれば、かけがえのない人生の礎となる「信用」というものなど、ケムリの如く消えていってしまう。

自分の評価は、相手に決められるのではなく、自分が主体となって決めることだ。だから、適度な距離感を持った状態で、互いの距離感を適度に保ち、お互いが、どのような仮面で接すればいいのかを、付き合っていく中で構築できることは、まさに理想的な関係を持てる最高の状態に入れる。そうすることで、今所属している共同体の中での「所属感」を得られれば、その瞬間から、幸せに生きる本当の自分と共に生きられるのだと思うのだ。

塾講師をしていた頃。授業を妨害する者。授業中、ずっとこちらを睨み続けていた者。こちらを挑発して仲間意識を強めようとする者。気に食わない生徒がいたことも事実。逆に、私のことを、心から慕ってくれ、いつも感謝してくれた生徒が多くいたことも事実。人生は、有限。前者のような者たちをムリに振り向かせるより、後者を“同志”として高め合えるような人生を歩んでいきたいと思う。

 

 

 

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