思考力

無意識のストライキ

ドバーッと疲労が溢れ出るような感覚に見舞われ、昼夜逆転しても構わないから、陽が落ちる前に数時間眠りたい衝動に駆られ、就寝前の薬を飲み込んだ。そこからは、身体が布団と一体化してしまったかのような感覚になり、もはや目を開けていることも無理な状態。何度か真夜中に目が覚めたと思うが、身体がマットレスの上から離れず、ズッポリと沈み込むような感触に変わると、意識が朦朧としてくる。やっと身体が解放されたかと思えば、まだ陽は明るい。ベッドから身体を起こすと、夕方ではなく、既に日付を跨いで朝になっていたのだ。

いつ頃からだったのかの疲労が蓄積し、昨日から今にかけて、身体が休息を求めていたことが分かる。今、ジメジメとした空気の中、ブログを作成していると、自分の身体を労ってあげられないようなほど、精神的にソワソワとした生活をしていた。友人に宛てたLINEは、夕方で終わっている。もう、身体のHPは、やはり限界だったのだ。まるで、遠足や修学旅行で人知れず気を遣っていた事が証明されたかのようだ。

今、何やら朝の重苦しい空気は何なのかを考え、iPhoneの天気アプリを見れば、今日は結構本格的な雨が降る模様。もしかすると、そんな気候や季節の移り変わりの時期だから、こんな異常な疲れが排出されたのかも知れない。現在、車を所有しているので、もう天気のことで外出できなくなるということも無くなったのだが、やはり下り坂に向かう前というのは、気持ちも下降しがちだ。それならばそれで構わないが、やはり昨晩からの強烈な疲れを考えると、無理はできない。

手帳を見てみる。9月の予定として組み込まれているのは、ゴミ出しの日と、病院へ行く日が記されているだけ。もはや、社会との接点というか、社会に貢献する活動というのは、私にとっては皆無ということになるのだろうか。今、お掃除ロボットが掃除を終え、充電ステーションへ戻った。今日の任務を終えたのだから、このロボットも、明日までは床面積を占有するだけの置物と化した。ただ、明日、再び同じ指令を出せば文句を言うことなく動いてくれるわけだから、その存在意義は認められる。人間も「それ」に近い存在になりつつあるのかも知れないし、こうやって考えると、もはや機械に仕事を代替されるというのは、避けられない事実なのだと感じてしまうのも無理はない。そもそもの指令を出した自分は、何の予定もないただの物体になるわけなのだから。

文章を書くというのは、人間だけが成し得る能力だと主張したいところだが、もうchat GPTに話しかけていれば、文章だって自分が描くよりも高い次元の内容を作成してくれるようになる。というか、もうそうなってしまっている面も多い。では、もし機会が意思を持ち、やがて人間の存在意義を疑問視したらどうなるのだろうかと考えると、かなり恐怖を感じてしまう。就業規則もなければ、労働基準も適用されない機械が、いつの日か文句を言うようになれば、人間の出る幕がなくなってしまう。思うように機械を操作できずにイライラしたり、不安を感じるような人が、現在多くいるのが事実なのだから、その側面だけを切り取れば、もはや機械に翻弄されているというのは、「認めざるを得ない」と言えるのだと思う。

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