思考力

今の波の状況に合わせた羅針盤を読み取る

 

釣りから帰ってきて、持ち帰った魚を、恐ろしく下手な調理法で捌いて実食する。釣ったことを申し訳なく思ってしまうような魚の味に、ため息が出るばかり。フライパンが無いから、油に浸して魚をフライにする事ができず、「フィッシュイーター」になってから購入したキッチンに並んでいるよく分からない調味料を、魚を入れた無水調理鍋の中に投入し、味噌を加えて「味噌汁」として食す。釣りに行くときには、毎回、隣の人に調理方法を聞くのだが、決まって「揚げ物」にすることを勧められる。この謎の味噌汁を飲むたびに、やはり、ガスコンロとフライパンは、必要なのかもしれないと感じてしまう。そうでなければ、私の胃の中に消えていく魚たちに失礼だ。

釣った魚を食べる。自給自足という言葉が、極めて手軽に味わえる「釣り」というレジャー。緊急事態宣言が解除され、時短営業も解除後され、そのニーズそのものが変わりつつある外食産業とは違い、釣った魚を食べるという行為は、変わることはない。アフターコロナで牛肉が高騰すれば、一気に肉の価格が上がって、ファーストフード店の先行きも暗くなっていく事であろう。そもそもの話、外食して口に入れる食べ物には、大量に食品科学添加物が使用されていることを皆が認識すれば、デリバリーでも頼んで、自宅で居心地のいいピアノの音でも聴きながら、ホットコーヒーを飲んで、多少の出費を覚悟して少しの贅沢を味わった方が良い。

この話は、「消費・浪費・投資」にも繋がっており、もはや突入しているであろうはずの”5G”の中で、今までの流れが変わり、一気に舵が切れる話でもある。もはや、実店舗を持つことで成り立つ商売が消え去っていくことは避けられず、生活するために必要な様々な商品は、無人の車に運ばれてきたり、ドローンで30分足らずで運ばれてくる。こうなれば、「出前」も、AI化されていくことも当然のことと言え、自宅から出ることなく、必要なものは全て手元に届くようになる。もはや、今、所有している物など、ほとんど必要なくなり、今、断捨離されている物そのものを欲しがる「欲」ですら、きれいさっぱり無くなってしまうことであろう。その頃には、「ミニマリスト」という言葉が、完全に過去のワードになっていることと思われる。

このような、先見の目を養っていくことで、ブルーオーシャンを見つけ、より有利なポジションへ辿り着くことができるはずだと、私は考えている。誰かと自分を比較して劣等感を抱くというのは、非常にナンセンスであると言えるが、視点を切り替えて、先を見据える努力を怠らなければ、少なくとも報われない人生にはならないはずである。時間的に、ジリジリ刻みに削られていく人生。その短くなっていく人生の中で後悔しない生き方をするためには、やはり、自分の考えを常にアップデートすることを怠ることなく、気持ちだけは老化させずに若々しい思考力を養い続けるべきである。

検索しても出てくる事もなく、すぐに離脱されてしまう自分の作ったYouTube動画の再生回数が全く伸びなくても、自分の編集した動画での外注の仕事が舞い込んできた。下手の横好きでも、ずっと続けているサーフィンではあるが、アマチュアでありながら、自分なりのボードのレビューだってできるくらいの腕前になっていると自負している。やはり、結果的に先を見据えてやっていたようなことが、現在、有利に動くことにつながっている。

過去の自分を見て、周囲の環境から何を学んだのか。やはり、どのようなシチュエーションにおいても、自分の人生に影響を与えているのは、常に自分を取り巻く環境次第であり、その環境というのは、良くも悪くも、現在の自分へと繋がっている。人は、他人と比較しているとき、自分より立場が有利な人と比較して、現状を嘆く生き物だと私は考えている。他人と比較して得られるものなど、自分にとってネガティブなことしかない。あくまでも、自己満足とまでは行かずとも、現状、置かれている環境の中での自分の役割というものを意識していれば、自ずと自分が果たさなければならない責務が見えてくる。そこを目掛けて生きていくことが、次のより良いステージで、心の底から踊ることができる鍵となるのだ。

今、土砂降りの雨の音を聞きながら、日付をまたごうとしている時間に、今日の分の記事を書き終えることができそうだ。このような地味で、ノロノロと、ほとんど進んでいないように思われる内反の意味を込めた文章作成であれ、これからの自分の人生の羅針盤になっていると心から思っている。

 

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