思考力

言の端に傾く

薬の配合がうまくいかなかったのか、朝目が覚めたとしても、人間の意思では起きられぬほどの眠気が襲いかかってきて、ベッドから抜け出そうとも、そんなに上手くはいかず、再度眠りに落ちる。自分でも、どんどん日が昇っていることを自覚しつつ、やっとの思いで起床すれば、正午を回っていた。そんなことでなるものかと、床のモノを全て退かして、ルンバを作動させようとも、こんな時に限って、ルンバの充電が上手くされておらず、ルンバはピクリとも動かなかった。今は、充電ステーションで、貪り食うように電気をストックしているはずだ。

歯磨きをしながら、コーヒーを作り忘れていることに気づき、コーヒーができるまでに、花瓶の水を交換する。なんとなく、いつものペースのリズムが狂い出しているようで、ほんの少しのタイムラグに、イライラすることとなってしまった。今は、金運BGMを流しながら、昨日のように、一日の締め切りのギリギリになって、記事をアップロードすることのないよう、カタカタとMacのキーボードを弾いている。それをYouTubeにアップロードする頃には、ルンバの食欲も満たされて、縦横無尽に部屋を掃除してくれるはずだ。時間の流れが多少乱れていたとしても、目的を達成してくれれば、それで問題ないこととしよう。

今日も快晴。そして、とても強い風が吹き込んできている。それでも、窓を全開にして、夜の間に溜まってした悪い気を入れ換えている。すると、何やら体が痒く感じ、さらに鼻水が出てくる。これは、花粉症の症状だ。自分はそれほど強く反応しないというものの、花粉症であることは事実で、そろそろ忌々しい時期に突入するということになってくる。それとなく買った宝くじが、高額当選していないだろうかと、うっすらと期待しながら、金運BGMを聴いて、当選したら、花粉症など関係ない国に旅行にでも行って来ようかと思ってしまう。そんな夢を見させてくれるのが、宝くじであり、その期待が募れば、毎日のルーチン作業にも、多少の拍車がかかるのかもしれない。

2杯目のコーヒーを注ぎに行き、ふとスマホを見ると、マッチングアプリからの通知が来ていた。そもそも、すでにアプリから何らかのハッピーな出来事が起こるとは思ってもいない。受け取った誰かしらからのメッセージには、「強風で花粉が凄そうですね」というメッセージが来ていた。今さっき、自分が書いた内容と同じだ。それで、気が合うパートナーと断定するなんていうことはなく、結局は、自分の書いている内容のブログというのは、普通の一般人が考えているようなことを、素材にしているだけなのかもしれない。それでも、なにも書かないよりは、遥かにマシだとも言える。

そんな中、今、あまりにも強い風邪で、カーテンが「マリリンモンロー状態」になってしまったので、全ての窓を閉めた。それでも、窓は軽く揺れている。快晴の天気を示すように、窓からは、たっぷりの日差しが部屋に差し込んでいる。こんなところに、幸せを感じられるような自分であれば、ハッピーライフを送ることは、けっこうカンタンなことになるのかもしれない。「足るを知る」という格言をもとに考えれば、今の自分には、物欲というものを抑え、睡眠という欲求を適性に管理する。そんなことに気を配ってあげられれば、幸せな日々が連続して訪れることになる。もちろん、こんな単純な計算式で、人生というワインディングロードを進めるわけではないのだけれども、シンプルな心持ちは、特に今の満たされずに、タイミングが噛み合っていないと感じる自分には、とても大切な気構えだとも言える。

YouTubeを観ていると、一般人でありながら、プロ顔負けの楽器を演奏している人たちが、自分がよく知っているアニメの曲を、バイオリンやギターやドラムで再現している。このような、コピーではない、「リメイク」の音楽を聴いていると、やはり自分の心が踊ってくるのが分かる。昨日みたいに、海辺で目も開けられないような駐車場でスケボーすらできない状態で車で海を眺めているよりも、今日は、カラオケにでも行って、自分の歌いたい曲を、思いっきり熱唱でもしてみようかとも思ってくる。

そう、このような前向きな心構えが浮かんでくることこそが、自分の作り上げているブログの良い側面なのだと思う。自分の文章作成に、自分が勇気を与えられる。そのことが自分の生きる姿勢を前に進ませられるとすれば、言葉の重みというのが、身に染みて実感できる。やはり、文章を書くということに、責任を持っていれば、必ずどこかで他ならぬ自分を救ってくれるのである。

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