思考力

へり下って曲がらない

腰が痛む。ズキズキと痛む。一昨日、腰椎分離症ではないという「ありがたい」診断をもらったというのに。実は、最近の購買意欲旺盛な自分は、どうしても欲しくてたまらなかった「スノコベット」を購入していて、それが今日届いたというわけだ。つまり、スノコベッドを組み立てる時に、どんなに頑張っても、腰にコルセットがなければ生活できない、今の自分ひとりの力では、組み立てることが困難で、何時間かかったのかもわからないほど、腰を酷使していたのだ。

かつて、「自分の弱点か短所を言ってください」という研修をする塾があり、私は咄嗟に「短所がないというところが短所です」という見事な回答をしてしまった記憶がある。相手がにっこりと微笑んだタイミングで、「強いていうなら物を作れないことです」と加えた。それからというもの、話はどんどん盛り上がり、素敵な研修となった。だから、私の短所でもあり、弱点でもある「物の組み立て」を、数時間も強いられたのだから、やはり苦痛以外の何者でもなかった。

案の定、どうしても組み立てられない部分ができてしまい、不幸中の幸いというか、ベッドのフレーム部分ではなく、ヘッドボードの天井部分だった。見栄えは悪いとはいえ、この部分が機能的に妨害することもないので、このまま使用していこうと思う。何とも過酷な労働だったので、明日の朝の腰の様子が恐ろしくてならない。新しいベッドの上で、何とか痛みを緩和してもらえないだろうか。もちろん、そんなことは吐かない望みにはなってしまうだろうが。

今、就寝前に記事を書いている。今朝は、とんでもない早朝覚醒をしてしまい、半覚醒のまま記事を書いていて、その記事の内容を、今読み返しつつ動画として作成したのだが、やはり谷底へ叩き落とされている悲壮感を感じてしまい、朝の目覚めのブログは、控えるべきだと痛感した。その後、強い睡魔に襲われて、二度寝をしたのだが、幸運にも病院へ行く時間には間に合い、今日も去年命を落としかけて運び込まれた病院の診察を受けた。

脳神経外科。頭を骨折し、一生モノの脳挫傷が二箇所もできてしまった。骨折の角度が悪ければ、一生寝たきりか、運が悪ければ目玉しか動かせないニンゲンになってしまっていたらしい。そもそも、そんな中で命を落とさなかったこと自体が奇跡だ。そんな大怪我をして、一年後の様子がどうなっているのか気にならないはずはない。そこで、地元の病院でもらった紹介状を持って、命を取り留めたその病院へ向かったのだが、具体的な症状がないにも関わらず、検査をすることはできないと突っぱねられてしまった。どうしても検査をしたいのであれば、全額自費での脳ドックを受けるべきだと言われてしまったのだ。

そこで引き下がるほどヤワではない。自分自身の命を落としかけたことを訴えるかのように、今の気分の落ち込みや苦しさなどは、精神的な物ではなく、脳の外傷からくるものではないのかなどと、ある意味で言うと「屁理屈」のように、医者をねじ伏せようとした。そして、「一回コッキリ」という条件を加えられつつ、私は当日にMRI検査を受診することができたのだ。昨日の腰椎分離症ではないという診断結果を受けられたことや、自分の心の底からの願いを懇願するということで、自分の今後の行方を確認できるのであれば、やはり引き下がらない方がいい。これは、間違いない。

とはいえ、腰に関しても、脳に関しても、何ら結果が出ているわけではないので、手放しで安心はできない。それに、MRI検査の途中で、グースカといびきをかきながら眠りこけてしまったのだから、まずは「睡眠障害」を治療しなければならないのかもしれない。病院へ行って、いつも通り海蔵を走り、そしてベッドを作った。そして、動画を一本上げた時に、自分が今日何をやっていたのかを思い出せなかった。これは、脳から来るのか、精神からくるのか。これは、ただの「疲労」であれば、取り越し苦労だったというオチになる。それで終われば十分だ。

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