思考力

裸の先生

朝起きるのが怖くなる。一瞬でも意識が正常になると、最近では覚醒している間、ずっと付き纏ってくる恐怖が脳裏をかすめる。すると案の定、脳の中は「奴」の支配下になり、自分の至らなさと心の不具合が自責の念を駆り立て、私の心の悲鳴が、奴の思う壺に入っていることに気づくと、ますます狂おしくなる。最近は、その恐怖から一生逃れられないのではないかという不安までついて回るようになり、得体の知れない恐怖というか、それこそ「奴」の怨念が身体をも蝕んでいることに気付く。特に、今朝は起き辛く、それが雨のせいだということにする以外方法はなかった。シトシトと降り注ぐ雨の音が、やはり私の心を鬱屈とさせている。そう思い込まなければ、完全に奴の思う壺だ。

AIでオススメされたBGMは、奇しくも「雨 朝のカフェ」と「ドビュッシー 月の光」。AIが、私の心ばかりでなく、私を取り巻いている天候までも察知しているのではないかという、一種の不気味な雰囲気に取り憑かれた。もはや、自分でも意識できていない心の痛みと深みを、コンピュータがカンタンに見抜いてしまった。そう感じる意外なく、もしそうであるのならば、もはや私の汚くて狭い世界観などの範疇は、コンピュータによって、あっさりと代替されてしまう日が近づいてきているということになる。

人生を楽に生きるためのアドバイスが溢れている。それは、今日のインフルエンサーの発言であったり、ビジネス経営者のセミナーであったり、はたまた寺の住職の説法や、教会の牧師の祈りの言葉であったり。特に、四方を海で囲まれた島国の環境の「日本人」の国民性の発想は、極めて保守的であり、それによって多くの日本人が「心配性」の気質を克服しようと躍起になっているケースが多く見受けられる。良くも悪くも、そこをビジネスとしている企業もあったり、それこそ、カウンセラーや精神科医は、そこを克服するための打開策を模索しているわけだから、変な言い方というか、聞こえの良い表現ではないが、それが「商売」になる。

今、メディアでは、やってはいけないビジネス、もしくは廃れていく職業が多く列挙されているが、やはりそのような職業の多くは、物理的に単調な作業をする職種であることがほとんどで、コンピュータが最も得意とする反復作業であることがほとんどだ。このような作業は、大きなミスや誤差を生じさせない「機械」に圧倒的に軍配が上がる。これは、否定できない事実だ。いくら抗おうと、それは時間の流れの中で、必然なことになったのだから、無駄な抵抗はやめるべき。

もし抵抗し続けるのであれば、今の時代において、携帯電話やスマホを捨てて、時が立つにつれて廃れていった固定電話のみの生活を受け入れるということになる。やはり、私には無理だ。ただ、自分の煮えたぎる怒りのマグマや、抑えることのできない恐怖などを、今日の起床後のパソコンに映し出されたオススメ動画のサムネイル画像に見透かされてしまい、さらに苦しみが増した。

人間の身体の仕組みというのは、何千年ものゆっくりとした進化の中で適応されて進んでいくものだから、現代の食生活が激変した時に、うまく対応できなくなるのは必然で、正しい知識を手に入れたら、食べてはいけない食べ物や、本来は毒素として扱われなければならない摂取してはいけない栄養素を自分の中で規定しておかなければならない。今は、栄養素であっても、いずれ毒確定となるモノが溢れている。「マーガリン」と呼ばれる「トランス脂肪酸」が良い例だ。アメリカなどの先進国では、すでに方で規制されているモノであっても、柔軟性がない日本では、規制がない。先ほど述べた日本人の「心配性」な気質は、本来発揮すべきこのような危険を避ける場合には、極めて消極的だ。

butter knife , bread , garlic and milk , breakfast in the countryside

最も、コロナの問題一つとっても具体的な措置が取れない日本は、動くことそのものが心配だと考えてしまうと思えば、仕方ないと言えば仕方がない。全体の流れがあまりにも遅い場合には、自分が危険に気付いたら、フルスピードで一目散に逃げたり、完璧なガードのディフェンスに徹する術を実践した方が良い。動かないヒトタチと同じように動かないで、大きな痛手を食ってしまうのは、愚かすぎる。

では、このブログの最初に出てきた「奴」の正体を発表しよう。最後のブラック塾で指導していた生徒だ。もはや忘れられて、良い思い出とならなければならないはずだったのだが、ここ最近、やけに思い出してしまい、目が覚めた瞬間に「ヤツ」の顔と輪郭までもがハッキリと思い出されてしまう。あの時、自らの拳をふるい落とせておけばよかったのだと、そんなことすらできやしない自分の気の小ささを恨むしかない。ただ、ヤケを起こさず、多くの生徒たちを受験会場に送り出すことができたのだから良いのかもしれない。

ただ、自分の職人魂が、それを全く許すことができていないようで、自分の授業を全力で妨害した「奴」を、今でも恨み続けている。こんなマイナス以外何者でもない負のオーラを、私はいつまで持ち続けなければならないのだろうか。敵意を剥き出しにしてくる者の年齢や性別は関係なく、自分の職人魂を傷つけ、私から多くの職人魂を受け継いでいこうとしている教え子たちの足を、全力で引っ張っていった。学校の先生に対しては「内申書」という大きなエンジンブレーキがかかるが、塾の講師に対しては、金を払っている「お客様」として扱えと言われれば、そこには「顧客」として扱わなければならない義務が生じる。なんとも解せない話だ。

学校の先生が持っている「内申書」という名の武器には従いつつ、塾の指導者のやり方や考え方が合わないとなれば、それを全力で妨害できる。しかも、会社での絶対の掟である「体罰禁止」。これは、私がクビになるばかりではなく、会社そのものが大きな痛手を喰うことにつながり、最悪の場合は新聞沙汰にもなる。そこを意図的に突いてきているのであれば、明らかに悪質だ。そのような卑怯な人間。まだ十代半ばだというのに、お金を払っているから何をやっても許されると考えているのであれば、客としてもてなしてくれる場面だけでしか粋がることしかできない者になる。そういう人間になるのは構わないが、私の神経をここまですり減らさないで欲しかったと心の底から思い、恨みの気持ちが収まらない。

このまま世界各国で「ベーシックインカム」が当然のように配られるようになり、日本もその流れを汲む事になったら、給付金を受け取ってやっているという立場で物事を考えるのだろうか。いや、間違いなくそうなる。自分の考えが通らず、周りに置いていかれないように頑張るどころか、周りを混乱させて自分の立ち位置を固めようとする。こんなニンゲンが、これからの日本の土台になっていくのかと思うと先が思いやられる。別に、そんな心ないニンゲンが居ても構わないが、せめて私の前に現れて欲しくはなかった。営業妨害ならぬ、「人生妨害」でしかない。このような黒歴史というか、トラウマがいつまで続くのか。これは、冷めない悪夢なのか。とりあえず、サウナで「茹でダコ」になっている時には思い出さなかったので、まだ大丈夫なのかもしれない。

-思考力