思考力

睡眠の波長が整う・時代の波長が分かる

 

とても爽やかな朝だ。普段なら、グズグズと布団の中で横になり、半覚醒状態で布団を羽交い締めにして横になっている時間。ただ、今日は違う。新居での初の一夜を過ごし、穏やかな朝を迎えることができたのだ。睡眠のリズムと深さの関係というのは、私にとっては、心の波長とモロに一致しており、このような気持ちのいい朝を迎えられるというのは、実に心身共に癒されていると言えるわけなのだ。

今日は、取り立てて「手書きの下書き」を用意していない。下書き用のノートも、MacBookも、旧居に置いてあるし、何よりも、このような清々しい朝に、コロナの新規感染者数の増加の報道などを主軸とした感想など書き綴ったところで、せっかく整った気分の波長を乱すだけだ。このように考えると、「転籍苔むさず」という諺の真意が、今やプラスの意味で捉えられるようになったことが、大いに理解できる。私の知人に、引越しを10数回繰り返している人がいるが、このような朝を迎えられると、その気持ちを何となく理解できる。その人は、都心で猫を2匹も飼っているので、物件選びも、退去費用も大変なのではないか思うところではある。

今の私の「物欲」はどうだろう。やはり、これに関しても、引越しを機に、断捨離をする人が多いと言われるが、今の身軽な状態になっている私には、まさにそれは事実だと実感する。今となってみれば、広いことだけが取り柄の「3LDKの古い平屋建て」の空間が、一気にワンルームという1部屋の空間に納めなければならないのだから、狭くなった間取りに置くアイテムは、大幅なモノのリストラを行わなければならない。だから、戦力外通知を受けたモノは、メルカリやリサイクルショップへ異動となる。

今日、初めて新居で夜を明かした要因というのは、新居のオーナーに、入居前の部屋の傷の修繕を依頼しているので、寝過ごすわけにはいかないというのが理由。仮に、旧居で寝ていたとしたら、ソワソワして、こんなにも爽やかに目覚めることはできなかったはずだ。セッカチのカタマリである私は、結局のところ、待ち合わせの時間に遅れないようにしなければならないという強い義務感から、待ち合わせの時間を大幅に前倒しにしてしまうから、「セッカチ」というレッテルを烙印されて考えられてしまうだけで、別に、相手の時間を強制的に前へ持ってきているわけではない。むしろ、相手の時間を尊重して、早くスタンバイしているだけである。だから、このような考え方の相違をなくすために、ひとりで生活し、誰とも行動を共にしないという生活は、私にとって「極楽」と言えよう。

今、iPadの画面のキーボードを弾きながら、小鳥の鳴き声と、カーテンから差す木漏れ陽が、清々しい気持ちを、一層ひきたてている。最近では、プライベートも仕事も順調に進んでいる中、このような穏やかな毎日を過ごすことを続けられるのだとしたら、これ以上、何を望めようというのだろうか。どんなに多くの資産をもっていたとしても、それを盗られてしまうのではないかという不安が、常につきまとうのであれば、それは豊かな生活とは全くもってかけ離れてしまっている。

千葉に来て、3年半以上が経過した。まだまだ自分が東京から来た「他所者」という気持ちを拭えていないが、これくらいの期間を過ごしていると、千葉外房で生活する費用の相場というのが把握できてくる。独り者が、家賃50,000円以上する物件に住むなど、考えるに及ばないほど高額に分類されるわけであることを知り、今、改めて引越し先での初夜を過ごしてみれば、それが事実であることが十分に分かる。今まで、ただただ広いだけの住居で生活していたが、それはただ荷物の為に家賃を払っていただけのようなもの。今、広めのワンルームに引越し、十分にコンパクトな生活をできそうな期待が高まっていることから、やはり、そのような考えに至る。

住処だけではない。千葉に来て、個人事業主として生活していると、「今日は何をしよう」というアイディアを沸かしてから、ゆっくりと新鮮な気持ちで、1日をスタートできる。もちろん、このブログを書く時間というのを差っ引いての考え方である。つまり、どんなに自由を感じていたとしても、このブログの毎日更新だけは絶対に欠かしてはいけないという強い義務感だけは持ち合わせている。それがなければ、ただ何の目的もない中年が暇を持て余しているだけとなってしまう。

豊かな生活の基準というのは、時代と共に変化していることは明らか。高度成長期には、車と不動産の所有が成功者のステータスであった。例えば、私の父が言っていたキーワードである、男の人生は「結婚•大学•就職」で決まるという言葉が、今になって考えてみると、父の心の中では、私に対して、悪気はなかったとはいえ、非常に固定化された昭和の考えなのだと判断できるようになった。時代はすでに「令和」。時代が変われば、必ず価値観というのは変化せざるを得ないのだ。

今の私は感じている昔との明確な差異。それは、いかに自分らしく生きられるかというのは、自分自身が仕組みを構築し、いかに不労所得を得て、やがて経済的自由を達成し、自由な時間を確保するか。少なくとも、私の中では、このような生き方こそが、今の時代にマッチングした生き方であると考えている。だからこそ、目が覚めてからブログを書き、それからの自由な時間をどのように過ごすか考えられている今の自分は、とても理想的な生き方をできているのだと思っているのだ。

 

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