思考力

足裏で感じる角度

久しぶりにやってしまった。夜の大きな道路を侵入しようとして、焦ったままハンドルを切りすぎて、車のお腹をえぐるような音が響いた。慌ててハザードを出し、近くの空き地に車を停め、恐る恐る車の後部を調べてみた。あんなに大きな音が出たにもかかわらず、外傷らしい外傷は見当たらず、おおよそ、車に積んである4台のスケボー同士がぶつかり合ったということにした。でも、自分の中で、ひどくショックが大きく、ずっとため息をつきながら、ふと気づくとハザードランプを出したまま大きな道路を運転していた。

昨日の記事にも書いたのだが、やはり最近の運転には気をつけねばならないと自戒していたのに、このようなアクシデントがあったので、本当に落ち込んでいる。ずっと緊張しながら家まで運転していたので、何やら腰に強い力が加わったままで、けっこう腰が痛む。でも、大きな目で見ると、他車の接触等による交通事故で負った外傷でもないので、軽症とも言えないチクチクした静電気のようなもの。時間が過ぎてしまえば、このショックの精神状態とともに消え去ってくれることを祈ろう。

確かに、最近は愛車に対して失礼なことばかりしていた。事実、昨日一昨日の東京の宿泊では、ほぼ9割のスマホのサイト閲覧で、中古車情報や旧車のサイトを覗き込んでいたし、車屋を通ると、そこから目が離れなくなってしまったり、対向車から奇抜な車が来れば、声を出して称賛してしまうことさえあった。これでは、愛車がご立腹してしまうのもごもっとも。もっと丁寧に付き合ってあげなければならない。もちろん、そんなことは当然だ。自分の命を運んでくれている相棒を無にするなんていう行為は、絶対に慎まなければならない。

今日のスケボーは、なかなかの発見があった。一月だというのに天候は小春日和。日差しが結構強く、車の外気温度も、15度を超えていた。だから、海の駐車場は、サーファーの車で混雑していて、それが土曜日と重なっていたのだから、もはや新年度でウキウキしているような人たちの賑わい方であった。もちろん、自分のスケボーの板をすっ飛ばすわけにもいかないし、ましてや車とぶつかってしまうわけにもいかないので、なかなか自由度は限られてしまうので、板の切り返しなどには最新の注意を払わなければならない。そして、そのような配慮をしていれば、自分の体の向きやいたの角度を、自分の頭の中でイメージし、それを足の裏で感じるわけだから、その板の「描く弧」というのは、自分のイメージに近づいてくるものだった。

何かを進めるときに、思いっきり自分の力を発揮できる場所ならば、それは自分にとって、格好の練習場なのかもしれない。ただ、普段とは勝手が違う状況で、自分の中の制約を感じつつ、最高のパフォーマンスを意識することというのは、場合によっては、無制限の時よりも効果的に働くこともある。まさに、そのことを感じられる海岸でのスケーティングとなった。自分の考えているスタイリッシュなラインとは、まだまだ遠く及ばないのだけれども、やはり自分の中でジリジリと近づいてくる完成形へ進んで行けることは、とても嬉しいことでもある。この歳で、自分の中で成長を感じられることがあるのは、素晴らしいことだと自負している。

暗いニュースばかりが飛び込んでくる。そして、その事実には、自分自身をしっかりと向き合わせなければならない惨事が続いてしまっている。もちろん、そのような日本の非常事態でありながら、やはり自分自身の行動にお粗末さを感じているだけなのであれば、それこそ今の日本で起こってしまっている悲惨な事態から身を遠ざけていることと同じになってしまう。だから、あくまでも自分の行動に責任を持ちつつ、自分を成長させる喜びをもち、さらに現状起こってしまった事故に対しての自分なりの「在り方」を模索していかなければならないのだろうと思っている。

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