思考力

違うレコードを選んでみる

昨晩の入眠は相変わらず悪く、やはりマットレスというのは、私にとって今のところ、早く眠りに就くということとは無関係のようだ。ただ、睡眠の質そのものは、明らかに改善された。目覚めが明らかに良くなり、かつて布団で寝ていたときのような無茶がなくなった。例えば、睡眠中に、敷布団のリングからはみ出てし、「矢吹ジョー」がリングのコーナーで永遠の眠りにつくが如くの部屋の隅で「座りながら寝ている」という、普通の人なら考えられない状態は全くなくなった。眠っている間に「天下一武道会」があるなら、小学生にだって勝てなかっただろう。コアラマットレス の高さは、どのサイズであっても「23センチ」であり、私が購入したのはセミダブルサイズ。ここサイズだと、眠っている間、本能的にリングから落下しないように身体の本能が働くのかもしれない。凄まじく酷い過去の自分の睡眠負債を、ここで一気に解消しなければならない。

今朝は、カーテンの下からは朝日が差し込み、窓を開けると清々しい風が吹き込んできていた。また、結構長く眠ったのかと思いきや、iPadの時計は、5時を少し回ったことを表示していた。たとえ短時間であろうと、スッキリと軽快に目が覚め、眠っているうちに癒され、幸せに目覚められることを落ち着いた身体で実感する。このような健康的な睡眠を得られると、今日のこのブログを書くときに、より集中力を上げるためのBGMの選曲に少し迷った。“ロマンチックフレンチカフェミュージック”は、いかにも「朝」という優等生的な雰囲気。Liveで流れている“Sweet Jazz May Morning”は、ライブ視聴者がいつつも、なぜかタイトルが"Tuesday"だったのでパス。最終的に選んだBGMは、ちょっぴり大人のちょっぴり贅沢な安らぎの“OLD JAZZ”。しっとりと文章を書き綴りたくなった。

こう考えると、朝のブログ作成時の“BGM”のこだわりも出てきて、当たり前のように白湯を飲み、部屋中の窓を開けて換気をする。白湯を飲んだら歯磨きをし、コーヒーを淹れてパソコンの電源を入れる。ブログの下書きの大枠を手書きで仕上げたら、コーヒーメーカーから淹れたてのコーヒーを飲みながらMacのキーボードを弾き出す。良い習慣となったことに、自分なり工夫して効率性を上げる工夫をする。他人からの強制的な指示から解放された自由を実感すると、より幸せな新しい人生の攻略法を考えたり、現時点での自分の幸福の結論、自分の市場価値などを落ち着いて考えられるようになる。

Cup of hot drink on the table

A white mug of warm drink and steam. Tasty hot coffee on a dark table. Black background.

いい意味で、人生を深く考えすぎることなく、自分を追い込めるような行動様式を一新し、迷いや悩みと折り合いをつけて生きていくことは、とても大切なことだ。かつての私の悩みの対処法や考え方は、自らをを崖っぷちに追い込み、そのような苦難の向こう側にあると思い込んでいる何かを得ようとしてた。ただ、今の自由で精神的にゆとりがある時間の中で当時の人生に対する思考法を思い返せば、それで得られたことは、その後の人生の大きなトラウマになるほどの心の重荷であり、その時の迷いが行動を妨げていただけだったことに気づく。

Men with headphones

目的地を決めて人生の航路を思い描き、航海する決意を決め他のであれば、そこには必ず「リスク」と「危険」が必ずついてくることを予め知り、理解しておかなければならない。そして、「リスク」と「危険」の明確な違いは、前者は乗り越えられる選択肢がある問題で、後者は直面したときに避けることも攻略することもできない問題と定義する。目的地まで降りかかってくるこの不可避な両者に対する心構えを持っておかなければ、少しの揺れで船から落っこちたり、船そのものが難破船と化したり、再起不能の状態にもなるだろう。

また、本来の目指すべき目的地へたどり着きたいのであれば、持ったところで前進することもないような変なプライドを捨て、現状を打破するための新しい思考法を受け容れることも重要。従来の考え方がうまく行っていたときに、新しい考え方に変えてみるには、酷く勇気が要る。胡散臭い人が溢れかえっている世の中、ある程度の自信がある分野で考え方や視点を変化させることで、その分野が逆に不得手になる可能性だって、多分にはらんでいるかもしれない。ただ、その分野に関してゆとりがあるのであれば、積極的に新しい考え方を取り入れることによって、十分有望な可能性が見出せることもある。

持っている才能や実力を高めたいのであれば、いったん従来の考え方を横へ置いた状態で、新しい考え方を一定期間継続すると、大きく飛躍する契機を手に入れられるかもしれない。特に、英語という科目を指導しているときには、その特性上、中途半端な実力を持っている者が、従来の考え方に異常なまでに固執している場合、この「一旦白紙にする」という行為そのものが難しく、従来の考えを新しい考えにすることを許すことなく、独走していく。それで成功する者も確かに存在するが、指導者の教えそのものを、試すこともなく聞き入れることもないのであれば、その後の人生という舞台の中でも、懐疑的になってしまい、自分の考えを曲げず、他者からのアドバイスを素直に受ける姿勢をも失うようになってしまうのではないだろうか。

ある会社や組織に所属しているときに、自分の市場価値を判断する際、心のどこかで自分の固定概念から離れられないと、自分の物差しや都合の良い巻尺でしか自身のマーケートバリューを客観視できなくなる。人生を好転させたいのであれば、たとえ今の生き方に上手くマッチしていると感じている行動様式であったとしても、少々のアレンジや新しい工夫をして視点を変えてみると、今までの考え方を継続するか否かがさらに明確に捉え直すキッカケを得られることもある。日々のブログ執筆中の“BGM”の選曲をしているときに、ふと感じたことである。

 

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