思考力

都の選定

朝5時前に起床。最近は、銀玉の動きを数時間単位で眺めているので、私の依存症垂れ流し脳内物質は最高潮に達している。そんなに疲れた状態で、長い睡眠が取れるわけでもなく、今も、Macのキーボードを打ちながら眠り込んでしまいそうだ。実際のところ、誤変換や誤字脱字などが目立つ。ここまでくると、AIと話をしながら、勝手に記事作成でもお願いしたいとも思ってしまうが、やはり、今の私は、とりあえず既存のやり方でしか文章を作成しようとは思わない。

上記の段落を書き上げて、Macのキーボードに顔を埋めるわけにもいかず、そのまま布団に潜り込んだ。現在、7時30分。90分ごとに睡眠の波が寄せては返すというのだから、私の疲れ果てた脳波も、とりあえず健常者と同じ様に動いているみたいだ。これで、薬も飲まず、自然に眠り込み、8時間程度眠ることができるのならば、どれだけ楽なことなのだろうか。「眠れないなら寝なきゃいい」という、発言者としての最低限のマナーを守れない、心ない人間たちが、仮に私と同じ様な疾患を持つ様になったらどうなるのだろうか。

今日は、東京の不動産屋に行く。とにかく、防音性にこだわる。他人の出す不快感の塊となる騒音を聞かなければならないのであれば、私の睡眠のリズムは、壊れた心電図の様になってしまうのであり、鉄骨鉄筋仕様の物件ならば、バストイレ別などの付加的な装備も充実しているはず。だから、防音にこだわるというのは、私にとっては、とても理に適った選択であり、物件の良し悪しの基準を決めるということは、自分の人生の良し悪しを決めることにも繋がるのだ。

自分の努力や、正確な知識で、自分の生活を苦にすることなく順風満帆にできるのであれば、その努力が、たとえチマチマしたものであったとしても、絶対に妥協すべきではない。生活の中で生じる疲れを癒す場所が、隙間風邪から爆音や爆笑の声などが聞こえてくる様な物件なのであれば、それは、避ける。そうやって、少しずつ自分の生きる道を整えていくことが、とても大切なのだと思っている。どの物件も、住めば都だという意見もあれど、自分の中での都というのは、自分のニーズに合致したものでなければならないということは、絶対に確かなことなのだと常に思う様になった。

-思考力