思考力

二十歳の頃のモコモコジャンパー

今、マックブックを立ち上げ、電源が入ったと同時に、明日は「成人の日」という表示が出た。自分は、二十歳を迎える成人の日には、およそ1ヶ月後に控えた、二年目の浪人生活への大学受験を控えていた。成人式そのものには参加しなかったのだが、その後の飲み会には、どうしても参加して欲しいとの要望というか、「要請命令」のような誘いが来てしまい、しぶしぶ居酒屋へ行くことになってしまった。もちろん、今のように一日中、誰とも話をしないままで、もう直ぐ迫ってくる受験という関門を控えていたので、行くことに強いちゅうしょがあったことは、強く記憶に残っている。

旧友たちは、そんなことを知らず、もちろん知ろうもせずに再開を楽しんでいて、自分はこんなハッピーな場所からは、いち早く逃げ出したいと思い、別にそれほど寄っていなかったのだけれども、口の中から喉に指を3本突っ込んで、ゲロを吐いて、体調が悪いと言って帰宅した。その帰り道の虚しさというのは、本当に記憶に生々しく残っている。自分がどんなに苦しい状況であっても、それが事情を深く知らない人たちからすれば、どうでもいいわけで、こちらに同情する時間があるのであれば、その分、自分が楽しんだ方が良い。だから、いきたくもない誘いがあるのであれば、そこは鉄の意思で断り、そこから逃避旅行へと荷物でもまとめておいた方が良いのだ。そもそも、むすっとしている自分や、周囲から浮きまくっている人がいるのであれば、それは周囲には完全に分かってしまうわけであり、なんとか溶け込もうとしたところで、それは側から見たら痛々しい醜態にしか映らないのである。

ふるさと納税の返礼品で、羽がパッツンパッツンに入った、日本職人が作った本格的なダウンジャケットが届いた。着ている感覚を忘れるほど軽く、それでいて、白鳥の羽の中で温風に包まれているような雰囲気。今はやっているノースフェイスのダウンジャケットのマークを消したような形なのだが、明らかに返礼品のダウンジャケットに軍配が上がる。そういえば、私が浪人時代と大学生の頃に来ていたノースフェイスのダウンジャケットと同じ型だ。身に纏って、鏡を見ると、なんとも懐かしい気持ちになった。変わったことといえば、年齢くらいなものなのか。いや、思考回路は若かったとしても、やはり「可能性」という視点から考えると、大きく目減りしてしまった感覚もある。そう考えると、時間というのは、残酷な概念でもある。

量販店を回り、フリマアプリを閲覧し、いろいろなサイトで、ズボンを探した。ここのところそんなことばかりしていた。そして、そんなことを最近では続けて、このサイトのブログ記事に書いていた。ここまで意識が集中してしまうのなら、いっそのこと踏ん切りをつけようと思い、今日、新品のズボンを買った。デニムでもなければ、登山用でもない、しかも量販店のものでもない、「釣り用」のパンツを買った。スケボーをやりながら履く時の条件として、ストレッチ性能というのは、不可欠であり、さらにこの時期の防寒性というのも捨てられない。そうなると、釣り用のズボンというのは、まさに願ったり叶ったりなのだ。これは全くの盲点。釣具を履いてスケボーをやっているスケーターなどいないだろうけれども、やはり本質を知っていれば、自分が心に求めているものというのを、ハッキリと理解することができる。

海辺でスケボー を蹴った。しかしながら、新しいダウンジャケットは、あまりにも動きを妨げているほどのボリュームで、上半身を動かすことができず、しかもダウンジャケットを脱いでスケボー をしても、冷たい潮風をシャットダウンできるナイロン素材を着ないでのスケートは、自分には難しかった。やはり、本当のモノを見極めるためには、その用途の中での適性を見抜くだけの実験と、失敗を繰り返すことの中にあるのだとも思う。そして、こんなに悩んで買ったズボンに、さらにメリットを見つけられれば、少ない出費で、最小限のモノに囲まれて生活できる「ミニマリスト」的発想をも手に入れられる。そう考えれば、今回のズボン探しと、モコモコダウンジャケットの使用の効果を、実体験の資産として、生活に還元できるのだと思った。シンプルで、質の良い生活を目指していくことは、精神的にもとても良い思考回路なのだとも思えるようになった。

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