思考力

蹴り出す

「〜したら止めよう」「この区切りのいい日に止めよう」。なかなか手強い依存症との戦いにおいて、よく考えるキッカケ作りだ。これはあながち間違ってはおらず、何かを契機にやめるということは、振り返ったときに、記念すべきあの日から止められたのだという自覚が、ますます自分の自尊心を高く保ってくれるものだ。そして、その晴れた日に感謝をするような時を迎えたら、過去の苦しかった頃を振り返って、自分の体内を循環していた負のオーラというものが吐き出されたのだと実感することになる。

私は、極度のヘビースモーカーだったのだが、今では嫌煙家であり、かなり離れた距離であっても、誰かがタバコを吸っていることに気づく。この禁煙から絶煙にかけての記念日は何だったのかは覚えていない。ただ、その頃、スケートボード にハマり、吸い気持ちになったら、一目散に板を蹴って、家の周りをグルグルと回っていたことを思い出す。全速力で板を漕げば、呼吸困難になる程肩で息をすることになり、とてもタバコなどは吸いたくなくなる。それで断煙できたのだ。

本日、自助グループのミーティングである。実は、スリップしてしまったことを、正直に話そうと思う。甘えるわけにはいかないが、きっと許してくれるに違いない。ほとんどの人が、スリップを経験し、這いつくばり、さらに歩き出している。このような仲間に出会えたことに喜びを感じている。私はもはや独りではない。分かり合える仲間がいる。逆に考えると、千葉に来て4年以上経った今に至るまで、恵まれた出逢いに飢えていたのだろうと思う。

明日は、誕生日でもある。これほどの記念日はあるだろうか。ただ、正直不安である。もしここで裏切り行為をしてしまったのであれば、もはや自助グループに行って、依存を止めましょうという資格などなくなってしまうのではないかとも思っている。いや、絶対に再び、自助グループの門戸を叩いてはいけないと認識している。ここは、自分を厳格な基準を規定すべきだ。

自転車で転ばない為には、ある程度のスピードが不可欠。そして、二輪車を走行するということは、一番小回りが効く絶好の乗り方。このような条件が揃った中、私の依存症との戦いは、再び仕切り直しで始まるのである。

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