思考力

個人としての生活と、全体の運搬回路

東京に一泊し、精神科の受診を受ける。わざわざ一泊する必要もなかろうと思われるかもしれないが、やはり自分の中で抱えている「双極性障害」という病気を、いわば「爆弾」のように捉えているので、服薬、通院、体調管理、睡眠に関しては、絶対に気を抜いてはいけないと重く受け止めている。だから、先日破けてしまったカーゴパンツの替えもないまま、東京へはスーツ量販店のセールのズボンで向かったし、東京でズボンを買ってしまおうと思ったけど、店で試着することを控え、そのまま店を出た。かつての自分なら考えられない潔さが身についたものだ。

千葉へ帰り、そのまま車で作業着の量販店のズボンを買おうと思ったけれど、いまいちピンと来ず、これまた全国展開のリサイクルショップでズボンを試着した。そこのオリジナルブランドの激安新品カーゴパンツだったから、色違いをもう一度購入しようとしたのだけれども、レジに持っていくギリギリのところで留まり、車で海まで行って、積んであるスケボー をかっ飛ばそうとした。とはいえ、もう陽が傾いていたし、真っ直ぐ進めないほどの夕陽が眩しすぎて、そのまま帰宅してしまった。疲労困憊のときに、大怪我というのはつきものであり、疲労困憊の時の買い物というのは、ほぼほぼ地雷であることが多いものだ。

部屋に入れば、一泊あけていたからなのか、部屋の空気が淀んでいて、観葉植物にも覇気がなかった。財布に入っていたレシートを出して、家計簿アプリで撮影していたら、ホテルに入る時と、深夜に、コンビニで大量のお菓子とジュースを買っていることに気づいた。この深夜に買ったジュースとお菓子に関しては、ほぼほぼ記憶もなく、しかも、800円以上のケーキと炭酸飲料だった。確かに、夜中の3時からずっと目が冴えてしまい、思いっきり早朝覚醒のままだった。その証拠に、アップルウォッチの睡眠時計も、3時以降は、全て「覚醒状態」を示していた。帰り際に、ゴミ箱が散乱していたのは、その余韻だったのかもしれない。

そんなこんなをしていたら、もうじき、本当に記憶にないまま外出して、何かとんでもないことをしてしまいそうだ。今、風呂から上がって、仮に裸体のまま記憶喪失で外出してしまったらどうなってしまうのだろうかと思ったら、強い寒気がした。入浴前には、レバーを逆のまま蛇口を捻ってしまって、シャワーで片腕がびしょ濡れの状態。もはや、アクセルとブレーキを踏み間違えたら終わり。だから、今日、海沿いまでいかなかったというのは、極めて正しい判断だ。

今、こうやって記事を作成していても、気分的に何らかのひっかかりが出てきてしまう。強い疲労からなのか、文筆エネルギーのような後押しがないし、記事を切り上げようという気持ちも強くなっている。惰性で書いているわけではないのだけれども、1日1記事のサイクルが身に染み込んでしまっていて、書かないと落ち着かない。もう、今服用している睡眠薬と安定剤などと同類のブログ作成なのかもしれない。そんなかっこいいことではなく、やはり激震から始まってしまった日本の年明けから、自分の思考回路の道筋が、うまく働かないような感じだ。未曾有の大惨事であり、どうやってこの日本の危機を、自分なりに支えられるかを考えてしまう。微力ながらできることはあるはずなのに、具体的な手を打てていない。自分が今できることは何か。気負いせずに考える。この考える努力は、当分、自分の中での課題であり、これからの人生で常に拘らせておかなければならない問題となっているのである。

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