思考力

読みつつ座る

トルコの大地震での死者は、12,000人を超え、阪神淡路大震災の死亡者数を上回ってしまった。阪神淡路大震災の時の記憶は、いまだに残っており、高校に行く準備をしようとテレビをつけると、どのテレビ局であっても、焼け野原の大地と高速道路が脆くも崩れ去っているような目を疑うような光景が映し出されている。もちろん、これは普通のことではない。さらに、この震災の2ヶ月後あたりだろうか、某宗教団体が地下鉄で惨事を引き起こした。あの年は、自分も大学受験浪人一年目ということもあり、精神的にあまり安定していなかったことを思い出す。

トルコの地震では、母親と子供がヘソの緒が繋がれた状態で救急され、その赤ん坊の命は助かりつつ、母親の命は助からなかったという悲しい状況などもニュースで知った。ウクライナの戦争で世界情勢が、大きく崩れ、日本の物価高だって貧困家庭でなくとも困窮している状態。そんな中であっても、数十カ国が協力し、トルコの地震の被害を食い止めようと、現地へ赴いている。あれだけの規模の自然災害は意図的に起こすことは、ほとんど無理なのだから、やはり世界でトルコを支える具体的な案を急いで考えて行動しなければならない。事態は逼迫しているのだ。

では、世界的に見られている日本の状態は如何なるものかといえば、やはりスシペロ事件によって、日本の外食産業へ疑問符が打たれている状態。また、刃物で人を傷つけるなどの凶悪犯行なども多く出てきており、日本の安全神話は、脆くも崩れ去っている進行系状態なのかもしれない。自然災害を止めることは無理難題に近いが、スシペロに関しては教育次第でどうとでもなる者なのかもしれない。ただ、Z世代という呼ばれている人たちの自意識のモラルが崩壊していては、やはり救いようがないという結論に到達する以外ない。

最近の睡眠状態は、とんでもなく悪くなってしまった。昨日も夕方には強烈な眠気に襲われたので、そのまま薬を飲んで眠ってしまおうとしたのだが、結局のところ眠ることはできず、4時間以上はベッドの中で横になっているだけだった。やはり、千葉で働いた最初の会社で受けたパワハラを思い返せば、怒りで眠れなくなる。それが渦巻けば、その社員からばかりでなく、受け持ちの生徒からの嫌がらせも思い出して、収集がつかなくなる。ほとんど眠った気がしない朝を迎え、このままTOKYOの病院の予約に急がねばならないところだが、ブログは毎日必ず更新するという決意があるので、しっかりと書いてから出発しようと思った。

自分の中で収集できない課題を解決するには、それ相応の努力が必要となってくる。ただ、それがどのような試練を乗り越えればいいのかなどという疑問に対しては、答えというものがない。例えば、聖書を読んで賛美歌を歌うことが救いになるのかもしれないし、お経を唱えながら座禅を組んでいることが自分を支えることになるのかもしれない。今から東京へ行く。そのときにスマホを見ないで目を閉じつつ、何が自分に対する有益な選択肢なのかを考えてみることにしよう。

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