思考力

豚の秤

トルコとシリアで大地震が起こり、死者7500人超で今後も被害が拡大されていく模様。北半球は、冬真っ盛りとも言える中、とんでもない苦痛を強いられることとなる。まさに、命懸けの救助活動を必要とし、諸外国が援助に向かっている。地震大国日本でも、今後、南海トラフ地震のことを意識すれば、この未曾有の大地震から得られる最善の行動は何かを知っておかなければならない。自分自身のことだけを憂いているようなことをせず、少しは外の世界の現実に目を向ければ、自分の悩みの小ささにも気づくことができるのかもしれない。

ただ、自分の苦しみと外界に起こった悲惨な出来事を比較するのは、なかなか正確性を欠けるとも言える。例えば、右に対しての反対は左であり、その左という存在を知らないとするならば、右を説明することは難しくなってしまう。では、時間に対立する考えを「豚」と考えてしまえば、その比較という概念そのものが、比較の対象として成立しなくなってしまう。だから、自分が比較の対象だと思い込んでいたような出来事を語れば、無責任な言動となってしまうことにもなりかねない。かなり突き放した表現になってしまうことは承知の上で、今現在の私の苦しさと、トルコとシリアの大地震で引き起こされる悲劇というのは、そもそもの対立関係や比較をするべきではないとも言える。

このように考えると、自分と誰かの優劣を考えることそのものは、とても薄っぺらい比較にもならない物差しでつなぐだけになってしまうわけで、あくまでも自分という範疇で物事を考え、そこに他人軸という障壁を挟まずに物事を理解しようとする気持ちをキープしなければならない。確かに、自分自身が抱えている問題というのは、幸せそうにしている誰かに対して羨望という形をとって現れてしまいがちであるが、その羨望そのものが、自分を苦しめて窮地に追い込むだけなのであれば、その障壁は取っ払った方が賢い。

このような大地震が起こり、歴史的事実として刻まれる悲劇もあれば、回転寿司の寿司をペロペロして、多額の損害金を損害されかれない少年も日本の歴史に刻まれかねない。そう考えると、同調圧力で踏み潰された悲劇というのは、傷跡を残しやすい。ただ、後者に関しては、どんなに同情しても救いようがないし、十分止められる事件だ。自然界で起こる脅威は止められずとも、悪ふざけを止めることはできる。ただ、この後者のデジタルタトゥーが消えかかったときに、また同様の愚か者が現れないように用心することも大切なことだと思う。

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