思考力

同じ金額を握りしめて

昨年末から、とても膝の調子が悪く、右膝は曲がらず、左は捻挫をしたような痛みを感じていた。こうなってくると、何やら内臓的な事なのかとか、不治の膝の変形なのかという疑いに駆られてしまっていた。もともと、若い頃から膝を酷使し続けるようなスポーツをして、30後半から違和感が出て、40には膝の水を抜くというサイクルになる。そして、40半ばに膝がギブアップの白旗を振り始めるのも無理はないと思ったのだ。

まだ、私の膝の愚痴に付き合ってもらうことになるのだが、もう一つ考えられる原因として、体重の増加であった。年末に強いストレス性過食に襲われ、一気に体重が増加。それが膝に現れるのも大きな原因であると思われた。そして、一念発起して、車で10分程度のジムに入会することにした。それが好機をもたらすことになる。ここまで読んでくれた読者に言いたい。謎の膝の不調は「水泳」をやれ。このことは知っておいて無駄になることはない。

もともと、スイマーズハイを経験している私の脳味噌は、これからの人生で、その状況から逃れられない運命を辿ることとなるわけで、入会後2回目で、脳内麻薬が垂れ流しとなった。身体は悲鳴を上げているが、脳は快感を得られて光悦としている状態。奇跡としか言いようがないのだが、入水3回目には、膝が大きく曲がるようになり、痛みが大幅に軽減されたのだ。そもそも、水中でかかる膝への負担というのは、一気に少なくなり、そこからさらにバタ足という同じ動作の繰り返しを行うわけだから、究極のリハビリを行っているわけだ。膝に良い以外の何者でもない。

ただ、ここまで改善されると、少し怖いくらいで、今考えてみると、膝の関節だか筋だかの組み合わせが歪んでいて、それがカチッとハマったのかもしれない。こうなってくると、やる気も出るわけで、これからガクンと落ちるはずの体重に期待することもできる。やはり、人間の意思というのは、何か嬉しい報酬、しかも思いがけぬほど早く「それ」が訪れたときに強くなるのかもしれない。また、意思の力は、環境次第で大きく変動するということもよく分かる。

今度は、昨日の悪い環境で引き起こされた惨事について語ろう。私は、もうスーパーにいく事をしないよにしている。結局のところ、スーパーのマーケティング戦略通りに店内を歩き回れば、赤色の値札やセール品に目がいってしまい、カゴには当初考えていなかったような量の食べ物が詰まってしまう。コンビニで1000円で買える量など少ないものだが、スーパーでの1000円の力は大きい。300円の惣菜と弁当とお菓子は、とんでもない量に変化する。すると、スーパーで買い物をするのは、酷く恐ろしいことであり、コンビニでの買い物の方が優れているという結果に落ち着く。この発想を持てる人は、なかなか少ない。

それでは、昨日はどこで買い物をしたのかと言えば、薬局である。これも、スーパーと同じで、次から次へとお菓子がカゴに収納される。薬局の値引率は、とんでもなく高い。3日ぶんの妥協の甘いストックは、家に帰れば、30分で胃の中へ流し込まれることとなった。こう考えると、やはり1000円を握り締めて、その範囲内でコンビニの商品を買って食べるべきである。やはり、体重を考えれば、この考え方は秀逸である。もはや、ここまでくると人間の意思というのは、やはり環境によって大きく変動するということがわかる。

ギャンブル依存症なのであれば、駅前を通らない。薬物依存症ならば、その道の交友関係を断ち切るために携帯電話を持たない。それくらいの覚悟を持たなければ、依存から抜け出すことはできない。脳に染み付いた悪癖というのは、それくらいしぶとく、一度取り憑かれた脳の傷というのは一生消えることはないのだ。やはり、人間は環境によって生き方が変化していく。周りに太った人がいれば、そのようになっていくし、周りが喫煙者ならば、自分もそのように染まっていくものだ。これは、科学的に検証され、実証されていることでもある。

私を含め、意思が弱いと思っているのであれば、一生、山奥でクラスくらいの覚悟も必要だ。禅を組みながら瞑想し、無の状態で自分の考えを洗濯する。そうすれば、洗濯された思考の良い部分を選択肢として残し、新たな環境で過ごせる可能性も増えるかもしれない。やはり、少なくとも私に関して言えば、前向きなコンビニ選択者となったのである。

-思考力