思考力

責任論

東京の病院へ行く。1ヶ月に一回の頻度とはいえ、やはり外房からの通院となると、交通費も馬鹿にならないし、もちろん時間だってかかる。そして何よりも、1ヶ月の間に具合が悪くなったとしても、気軽に病院へ行くこともできない。東京寄りに引っ越した方がいいということは、薄々気づいていたことではあるし、やはり主治医からもそれを指摘された。特に、昨日の診察までの1ヶ月の期間については、3週間ほど具合が良くてこのまま寛解モードなのかと思いきや、残り1週間で一気に気分が急降下した。このような場合、やはり20年以上の付き合いがある主治医の存在が必要なのだ。

生活費もカツカツで、やはり眠剤服用後に襲われる空腹に耐えられず、千鳥足でハンバーガーを買っていれば、その時点で千円程度は消えていくわけで、これが重なってくると、かなり痛い出費となってしまう。なんだかんだ言って、贅沢な暮らしなのかといえば、なかなかそうとも言えず、見切り品の野菜を無水調理鍋に大量に入れ、それを蒸しあげたら、カレーやハヤシライスやシチューを溶かせば、一品の料理が完成する。炭水化物を抜いているというわけではないのだが、白米がなければ腹持ちも悪いので、すぐに空腹となってしまうので、あまり経済的な自炊ではないのかもしれない。

この記事を書く前に、ゴミ出しをしていると、薄っすらと雨が降っていた。今日の天気予報では、かなりの積雪があるということも言われており、なかなか厄介な雪で、アクシデントなどが起こらないように、自他ともに気をつけておかなければならない。トルコの地震のような予測不能な避けられない自然災害は、避難するのに命がけの行動力が伴うが、雪が降るという予報が出ているのなら、その後の自分の動きに責任を持つということもできる。自分のできる範囲というのは、自分の責任が及ぶ範囲を、様々なメディアから受け取れるアンテナを常に張っておくということでもある。

このように考えた場合、双極性障害という不治の病と付き合うという責任があるのであれば、自分ができる範囲でやれることというのは必ずある。それが引っ越しをするということなのか、薬を服用する時間を再考するということなのか、夜食を控えるということなのか、はたまた全てなのかは分からないが、自分でできる範囲の努力をしなければ、気分の波動のブレというのは、必ず生じてしまう。そして、これを根性論で片付けることなく、自分の中の責任として対処することが最も大切なのだと考えている。

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