思考力

ブーメランギフト

フラッシュバックを引きずりながら、スケボーで発散をする。そして、ハンドルを握り、アクセルを踏み込んで、YouTubeの音声に耳を傾ける。そして、次の駐車場へ。こんなサイクルを作り上げ、そこにささやかな幸せを見出したかった。それでも、PTSDやトラウマを消去するというのは、真っさらだった紙をクシャクシャにしたものを、再び真っさらにするのと同じような不可能な行為でもあり、この心に焼きついて刻印された負のタトゥーを、これからの人生でずっと引きずらなければならない。それは、逃れられない事実なのだ。

明日は、朝から脳神経外科のMRIの検査結果が出るので、それを逃すわけにはいかないし、その後に誤診をした腰の病院の受診もある。だから、決して寝坊をするなんて「愚」を犯すことはできない。それで、こんなトラウマによって不眠を加速させるわけにもいかないので、温泉施設のサウナに行って、数回サウナ水風呂露天風呂のサイクルで整いつつ、ブログを書かないで寝てしまおうとも考えた。でも、家に着く数メートルのところで見知らぬ番号からの着信があり、それを受けると、千葉で半年程度だけれども勤務させていただいた塾の室長からの電話だった。

この方には、本当にお世話になり、絶対にいつか恩返しをしたいと思っていた人で、先日、お歳暮を送っていた。だから、そのお礼の電話だということは、すぐに分かった。それでも、この方は、塾の責任者だというのに、「話し下手な人」で、話題も途切れ途切れながら、私の心は踊り、徐々に話に花も咲いて、とても穏やかな会話をすることができた。車の中での通話だったにだが、もう「ありがとうございました」という言葉が、もはや語尾についてしまっているかのような話し方をしてしまい、向こうも戸惑ってしまうほどだった。

もちろん、そんなに感謝するのには理由があるわけで、その塾に勤務をした1ヶ月後に「コロナ 」に感染してしまうという事態に見舞われ、しかも、発症する三日前に、私は出勤していたのだった。その電話をした時の緊張というのは今でも忘れられない。1ヶ月程度の勤務の非常勤講師が、意図的にではないにせよころなを撒き散らしたのであれば、それは損害賠償ものではないかとも思いつつ、それを隠蔽するわけにもいかなかったので、震える声で電話したことを覚えているし、室長も連絡を受けた時に電話越しで固まってしまった状態だった。もう、メガテンになっていたことがありありと頭に浮かぶような声が聞こえてきたのだ。

すると、折り返しの電話があり、もう自分がどのような処分が下るのかを考える余裕もなく電話に出ると、「飯とかはどうしてるの?今から届けに行くよ」と言ってくれているのだ。実際、極度の空腹状態だったのだけれども、それを伝えるのもおこがましかったのだけれども、弁当屋の温かい腹にたまる弁当、アイス、ジュースなどを玄関に置いて帰って行ってくれた。当時のコロナの猛威は普通ではなく、感染者へ食料が届くのは、感染報告後の三日後という単身者には絶望的な状態だったので、この差し入れは、自分の中では本当に感謝しか考えられない贈り物だった。

千葉に来て、もう5年以上経ったのだけれども、この期間の中で、嘘遜色無く自分と人間として接してくれて、損得勘定なく”GIVE”してくれた人はいなかった。だから、今でも室長の暖かさは身に染みているし、ブラック企業でPTSDを発症してしまうような塾との差が、もはや差では無く「対極」の図式を描いているのだから、人間性というのは、本当に接してみないとわからないし、こちらが本当に危機に陥っている時に、その手を差し伸べてくれる人のありがたみというのは、ひしひしと伝わるものだ。だから、今回のお歳暮なんて、無にも等しいささやかなものだったし、それでもさらにブーメランのように嬉しい電話がかかってきたのだから、素晴らしいギフトとなった。

今、幸せな気分で記事を書いている。たった一本の電話。ひさしく人間と会話をしていなかったからというのも差し引いて、本当に心が温かくなった。サウナで体が温まったということもあるし、身も心も冷やさないうちに、静かに床につこう。そして、明日の受診で悪いことがないことを祈りつつ、幸せな気持ちをキープしたいと思っている。

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