思考力

芽の中を説く

正午前に目が醒めた。何やら胸焼けがする。そう言えば、昨晩は、どうしても寝付くことができず、深夜にコンビニまで行って夜食を買いに行った記憶がある。ちょうど、昨年の今頃、深夜に牛丼を食いに行って、思いっきり自転車で転倒し、頭蓋骨を骨折して生死を彷徨ったことも思い出した。入院日と入院費用を考えると、とんでもなく高い牛丼になってしまった。もし、こんな生活が再発してしまったら、数日前からつけ始めた家計簿の支出も、一気に跳ね上がってしまう。コンビニで買い物をしながら、どれも高いものばかり。普段はスーパーばかりで買い物をしているので、コンビニの商品の高さがよく分かった。

Twitterを開いてみると、トピックのワードに、「低気圧」というワードがあり、それをタップすれば、低気圧で精神的不調を嘆いているツイートが並んでいた。精神的疾患を抱えていなくても、強い低気圧が近づいてきて不調を感じるのは、みな同じのようだ。私も、今朝は腰が重く、気分も冴えない。夜食が重いものばかりだったので、食欲もない。全くもって、めんどくさい日を迎えることとなった。ただ、もう猛暑日などこなさそうだし、一気に秋めいてきたので、過ごしやすくなるはず。もはや日課となった、海へのドライブも、さらに楽しくなるだろう。

自分の画像を、あるサイトに送信すると、その画像がそのままTシャツや、日用品にプリントされて販売できるというサイトがあった。出品は無料。そして、売れれば指定した額が振り込まれ、発送手続きなどは全てサイトの運営側がやってくれるというサービスだ。試しに、3種類の画像を送信し、販売してみた。このようなチャレンジというのは、やるかやらないかという二手に分かれる。やることと言えば、画像をと用意して送るだけ。パソコンやスマホにストックしてある画像があれば何でもいいので、パソコンならクリック、スマホならタップだけでほとんど完了する。ただ、そのようなシステムのサイトがあるという認識や、やらないで外野からつべこべいうだけで終わるという選択肢もある。

どちらが正しいとは言えないが、冷やかしたり、イチャモンばかりつけているよりも、一歩出た方がいい。そこで学べるものが失敗だとしても、経験が残る。そんな大富豪であっても、経験というのは、お金では買えないのだから、極めて貴重だと思う。最近、「ゼロに何をかけてもゼロ」ということばかりを考える時間が増えた。アクションを起こさなければ、得られるものはない。あぐらをかいているだけで、何かが転がり込んでくるという発想は、断じて捨てなければならない。もし、何かを得たいと心から思うのであれば、やはり自分から進んで手を伸ばさなければダメだ。埋もれる前に、一歩を踏み出さなければ、そこで成長が止まってしまうどころか、朽ち果ててしまう。今までの経験から、それは確かなことだと感じる。

外野からつべこべ言うのは、とても簡単だ。何かを成し遂げようとしている人の足を引っ張るのも、とても簡単だ。でも、そのような簡単なことばかりをしているようなのであれば、結局は何もしないでいることと同じ。だから、そんな卑怯な生き方しかできないのであれば、それは朽ち果てるしかない。もはや、そんな攻撃を受けたとしても、反発する必要すらないのだ。だから、常に自分を顧みると言うことを前提として、自分の思うべき正しい場所を目指すというのは、成長するには不可欠な心構えになる。

海へ車を飛ばしながら、仏教の教えを説く動画を音声だけで聞き流すこともある。結局は因果応報と言う真理には抗えない。それならばやはり、自分の中に秘めた種が正しいものだと信じられるのならば、そこには確かに可能性が秘められた結果が、自分を正当化して妥協の種を撒けば、自分をからせてしまう結果しか待っていない。この考えを知っておくだけで、少しは自分に害を与えた人への哀れみを感じたり、自分の生き方を律していくことができるのだと思う。人はそうすることで、どんな年齢であっても、確かに成長していけるのだと信じている。

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