思考力

泡を吹く

異常な寒さで目が醒めた。普通ではない。別に、特段薄着をしていた訳でもなかったし、おそらく今日は異常気象の名のもとに、かなり冷え込んでいるのだと思っていた。頭の位置にあるスマホを持って、横になりながらグーグル検索をする。「今朝 寒い」などのワードであっても、別にヒットすることもない。ヤフーのトピックスにも、寒さに該当する記事などない。やはり、自分の身体だけに怒っている怪奇現象だ。毛足の長いフリースを着込んでも、再度眠りにつくことはできず、結局は真冬用のダウンジャケットを着て、なんとか寝落ちすることができた。

この部分だけ切り取っても、自律神経が壊れていることが分かるし、常時眠気が残っていて、ぐったりとしている。昨日は、妙な不安が取れず、精神が錯乱してしまい、陽が落ちる前に眠剤と安定剤を飲んで眠ってしまった。ただ、結局、眠れたのは夜中になってからだったと思う。昨日の記事も、同じようなことを書いていたという記憶もあるから、おそらく自分の心身がリミッターを突き破っていることは確かなようだ。このまま放置しておくのは、小さな虫歯を放置しておくのと同じ。だから、精神的な悪化の自覚があるうちに、病院へ行きたい。こんな時だけは、病院が近所にあればいいと切に思ってしまう。

起きてから、少しでも実りあることをしたいと思い、マットレスを上げ、ルンバを作動させた。まさに、1週間ぶりくらいだろうか。でも、ボタンさえ押してしまえば、ルンバは変化することなく、同じ動きをしてくれる。ルンバに体調というものは存在しない。強いて言えば、定期的なメンテナンスをすることくらいだ。ルンバを作動する余裕が出たのならば、やはり観葉植物を日光浴させることも忘れてはいない。こちらは、そこまでケアを怠っていなかったのだが、やはり葉がポロッと落ちてしまった物もあり、愛情を注がなければ、不覚にも弱ってしまうものもあるのだということを知る。生き物には、愛情が不可欠なのだ。

今朝の気怠いベッドの中で、かつて酷い精神状態だった頃に、毎日読んでいた詩人のブログを見た。この人は、自分とは完全にかけ離れた神秘的な詩を描いていて、感受性などを比較できないほど異次元にいる人のようだった。まだ、毎日毎日ブログを更新しているようで、相変わらず自分の心の中を手探りで追求しつつ、何もつかめないという切なさを描いていた。私の表現力などというものが、いかに稚拙かということをいつも実感してしまう感情の綴り方をしている。日々の生活の中で、こんなにも繊細な気持ちを持ち続けるには、どれだけのパワーを必要とするのだろう。

今朝の異常な寒気。そして、起きてからの気怠さと不安。ここに何らかの因果関係があるのだとしたら、一体どのようにして解決していけばいいのだろうか。ここには、外的な治療法など存在せず、自分の心そのものを修正する必要があるのかもしれない。ただ、そこに必要な要素が何なのかが、全くもって見当がつかない。もし、簡単に見つけられ、改善させられる心のピースを失くしているだけなのなら、そこを捜して見たいものだ。それを見つけられないからこそ、思想というのは追求するほどに見えなくなってしまう、抽象的な存在となってしまうのだろう。今の自分には、そんな実態のないものを追いかけたり、表現する勇気はない。これからの自分が進むべき方向性というのが見えなくなってきている。やはり、この事実だけは体だけは直感的に感じていて、戦慄をも感じているのかもしれない。

-思考力