思考力

波に弾かれる

何やら、イライラしっぱなしの日だった。相変わらず体調が悪いことは仕方ないとはいえ、目が覚めてからずっと強いフラッシュバックが起こってしまい。朝起きてから、現在午後8時まで、全く消えることがなかった。人間は、防衛本能で、太古の昔からネガティブな記憶を残すと言われているし、生物学的にも、それが正しいとされている。もし、危険を察知できなかったり、同じような危険な場所に呑気に行ってしまえば、同じような危険にさらされるわけだから、ネガティブな記憶というのは、留めて置かなければならない。しかしながら、ここまで強いネガティブな記憶に苛まれているのであれば、これそのものが強い危険なのだから、キレイさっぱり忘れてしまいたいものだ。

今日も、南房総まで車を走らせ、海を眺め、北へ戻った。そんなことを、ここのところずっと続けている。運転していても、何やらボーッとすることが多く、今の愛車始まって以来の、縁戚に乗り上げてしまうと言うミスを2回もしてしまった。かなり強い雨も降っていたとはいえ、なかなか情けない。少し擦ってしまったような気味の悪い音もしたので、明日改めて傷跡を見るのが怖い。まるで、平穏になりつつある心の傷跡を、改めて見直さなければならない、今の自分にピッタリだ。愛車も同じような苦しみを感じてくれているのかもしれない。

今日の車の中では、いつものような教養を深めるビジネス本の要約動画ではなく、センチメンタルになるような曲や、仏教の教えを説いた動画の音声をずっと聴いていた。さすがに、今のところ、平穏無事に心を鎮めることもできそうにないし、それに抗うようなことをせず、自分の心の様子が、いわゆる仏教の考えでいうところの、どの部分に該当するのかということを考えるようになった。心底嫌いだった高校が、仏教の高校で、そこで得たトラウマも強いので、仏教の教えが全てだとは決して思えないが、やはり、どこかしら自分との接点のようなものを感じられると、そこに心の安らぎを感じる。これが、仏の教えなのだろうか。

この負のループを抜け出すためにはどうすればいいのだろうか。いまだに未練たらしく、自分のYouTubeのオススメ動画には、サーフィンの動画が表示されている。そして、海岸線を走りながら、ずっと波をチェックしている。駐車場に車を停め、ライディングしているサーファーを眺め、自分には不可能となってしまった波乗りを考えると、やはり胸が苦しくなることが多くなってしまう。まさか、自分の腰が骨折するなどということは、予想だにしなかったし、それがもう治らないということになるとも思ってもいなかった。このショックは本当に大きい。

断捨離をして、自分の中で惰性で続けていた物事から離れた。サーフィンもスケボーも同じ。ただ、積み上げてきた時間や労力を考えると、やはり自分の中で納得ができないというか、納めきれない気持ちの余波のようなうねりを感じてしまう。これは事実だ。もし、このような心のトラウマを抱えていたとしても、海に入って心を浄化させれば、きっと自分の中で納得できる引っ掛かりができたのだと思う。それに替わる何かが、今の自分の中にあるのだろうか。それは、これから見つかるのだろうか。そして、もう一つの生きがいであった、英語講師としての道のりも閉ざされてしまったのだろうか。なかなか謎が深まる。認めたくないことを認めないと、心の中に強い渦が巻き起こることを、今、体感している。

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