思考力

眠っても張っておくアンテナ

最近は、ブログを書きたくなくなったというわけではないのだけれど、歯磨きをしてコーヒーを飲みながらYouTubeを視聴している最中に、ブログを書き忘れていることに気づくことが多い。朝の日課として定着していたブログの執筆だが、今では正直なところ、優先順位が下がってしまったことを否めない。それでももちろん書き続けていくのだが、再び目が覚めてからのワンセットのルーチンとして結合されるかは、甚だ疑問が残る。

昨日は、予約外で病院へ行った。ひたすらに眠りすぎたりすることもあれば、真夜中に目が覚めて2時間程度しか眠れないでイライラして眠れなくなったりする。そんな状態で、精神状態を良好に保てるわけもなく、病院へ駆け込む頻度も高くなってしまっている。そもそも、外房から都心へ行くのに、かなりの交通費と労力が必要なため、受診することを多少は躊躇うこともあるが、背に腹は変えられずに高額の遠征費用と長い時間の待合室での待機時間に耐えることになる。それはそれで仕方がないといえば、仕方がない。私は、不治の病に侵されているのだから。

今、まさにネズミが窮地に立たされている状態で、とうとう「入院」というワードが出てきてしまった。やはり、自分の中でも、一度生活にゆとりを持ちつつ、24時間体制でナースとドクターがいる環境で治療をして寛解を目指したいとも思っている。窮鼠猫を噛むというが、自分の相手が「自分」という変則的な戦い故に、自分としても如何にして立ち振る舞いを慎重にしなければならないのか迷っている。とりあえず自分で自分の首を締め上げようという感情はないので、今のところ、2匹のネズミも命だけは守られるはずである。

現在、空白だらけの手帳に記されているイベントは、病院へ行く日と粗大ゴミの日、そして自分の誕生日の3点のみである。昨日、薬局の女性とも話をしたのだが、何気にこの千葉の薬局を利用するようになって、一年になった。東京の病院の処方箋を写メ目で撮影し、そのまま薬局に送信すれば、待ち時間ゼロで薬を受け取れる。これは、本当に画期的だ。渋谷の街で、2時間以上薬待ちをする苦しさは、東京にいる時からの強いストレスであったし、千葉に来てからは、その2時間のせいで帰宅するのは日没後であったことも多かった。やはり、人間の時間に関する無駄や労力の浪費に対する考え方というのは、しっかりと改善されている。

しかしながら、こうやって利便性ばかりに気を取られていれば、それこそ何気ないことに時間を吸い取られていくことは確かなことであり、時代に乗り遅れた途端に、自分が世界から切り取られてしまう危険性だってある。それならば、どうやって生きるべきなのだろうか。それに関しての回答の一つは、世界の常識に遅れないように、情報感度を高められるような触覚を高めていくことだと思っている。

-思考力