思考力

舞台に立たす人

昨日から復帰したルンバ。ドライブから帰ってきて姿を確認したら、充電ステーションの前で、斜めになっていた。案の定、今日、スタートボタンを押しても、ビクともしない。どこかの接触が悪かったのか、今もホームベースの上で、電気を貪り食っている。一度5メートルくらい動いたが、再度引きこもりの状態。もはや、「働いたら負け」なのだろうか。修理に出して、異常がないということで突き返され、さらに数日で修理をお願いしたところで、使い方が悪いということで突っぱねられそうだから、もうしばらく様子を見なければならないのかもしれない。そもそも、2ヶ月もたたないうちに不具合が出ることそのものに、大きな問題があるので、私が気に病む必要もないはずなのだが。

ドライブとスケボーは生きがいである。実は、数ヶ月前から、股関節に痛みがあり、そこを騙し騙しかばっていたのだが、やはり病院で見てもらう方が良さそうなほどの違和感と音が出るようになってしまった。腰、膝、股関節と故障が積み重なって仕舞えば、歩くことができなくなるのも、時間の問題になってしまいそうだ。それが原因なのか、スケボードライブの刺激が薄まってきたからなのかはわからないけれども、フラッシュバックが起こる頻度が増え、その強さも増してきてしまった。憎しみの相手の顔の輪郭まではっきりと浮かび上がってくる。これは、とてもつらい。

今朝も、なかなか起きられなかった。起きるのが辛いというよりも、もっとこの気持ち良さを味わっていたいという気持ちが強く、高価なマットレス を買ったことの効果が出ているようだ。睡眠への投資を怠らなければ、きっと精神的不調も改善されるだろうし、「快進の眠り」を追求することというのは、私にとって、最高の生き方を追求することと同じ。機能、久しぶりに乗った体重計の数字が増えていたことにショックを受けつつも、この数字だって、きちんと意識しつつ、睡眠改善をしていけば、きっと健康な数字に落ち着くはずだ。

毎日、掃除をして、風水を整えていた今年の春から夏。とにかくきれいにすることにこだわった。でも、腰を痛め、それがフジの呼称となってしまったことから、肉体的にも精神的にも、継続することができなくなってしまった。掃除に拍車をかけるためのルンバも不調ならば、気持ちまで萎えてしまう。ただ、落ち込んでばかりもいられず、今日の記事と動画アップロードを終えたら、充電完了のルンバを作動させつつ、自分もせっせと掃除をしようと思う。部屋という空間がシンプルであるほど、自分の心の状態だって、クリアになるのだから、今のどっちつかずの心持を精算するためには、整理整頓は不可欠なのだ。

歯磨きをする。歯のケアというのは、とても大事だ。歯の資産価値や、健康に与える重要性を考えても、しっかりと清潔にしておかなければならない。しかしながら、毎日のデンタルフロスなどの細かなケアというのは、怠りがちになってしまう。ただ、重要な器官でありながら、しっかりと外側から手入れができる部分なだけに、心がけ一つで清潔をキープすることができる。それならば、やはりやる習慣をつけるか否かという行動力だけにかかっていると言ってもいい。

自分の考え方というのが、多少ズレていたとしても、多様性や一般的な考え方ということばかりに気を取られ、個性を失ってしまうのであれば、そこに進展はないのだと思う。だから、自分は弱いとか、自分は性格が曲がっているという認識があったとしても、そのことをぶら下げて生きていくというような「図太さ」のような気持ちを持つことも大切なのだろうと思う。自信過剰と言うのは問題あるが、自分を過小評価して引っ込み思案になるのも良くない。あくまでも、自分は自分であり、どこの局面であっても自分を押し通すと言う気持ちをキープすることは、他ならぬ自分を苦しめないための救済措置であるのかもしれない。

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