思考力

母胎の時間

復帰2日目のルンバ。なかなか快調に仕事をしてくれている。昨晩、なかなか眠りにつけなかった証拠の、林檎の皮やゼリーの袋などが、シンク に溜まっていて、いつの間にかエアコンをつけていた。夜明け前に寒くてスイッチを入れたのだろう。窓ガラスに貼り付けたプチプチの効果なのだろうか、なかなかポカポカとした室温の中、布団から出るのもツラかった。もし、会社員で強制的に起きなければならない生活なのであれば、その苦労はいっそう苦しいはずだ。目が覚めて、眠気が残っていない状態にして、歯磨きをしてMacの前に座れば、そこから記事作成という仕事が始まる。やはり、過去の会社員だった時の地獄が振り返り、そこが修羅場だと再認識し、フラッシュバックが起こるのも無理はないと思った。

アップルウォッチの睡眠アプリでは、今日の睡眠のノンレム睡眠は短く、9時間以上寝たのに、寝足りないというのは、やはり深い眠りが長く続かなかったからだと言える。だから、このスマートウォッチというのを、健康のバロメーターにするのは、正しい選択だ。しかも、物忘れがひどい今の自分は、ボイスレコーダー機能を使って、思いついたメモを、手首に向かってささやけば、それだけで買い忘れのアイテムが減るし、これをフル活用しれば、ブログのネタや日々の回顧録の具体的データとして活用できるはずだ。

今、手首に向かって、日付を尋ねた。寝る前に、日々のストレスを具体的に書き殴るという発散法をしていたが、昨日の日付の紙が見当たらない。書くことを忘れて、とっとと寝る支度をしたようだ。ルンバは、今、仕事を終えた。今日は、ドラム洗濯機の出番はない。取り立てて掃除をする箇所もないし、昨日の買い貯めた食材をもとに、数日ぶんの料理でも作ってしまおうかと思う。IHコンロがあれば、火災の心配などほぼ皆無。冷蔵庫に入れて、レンジで温めれば、すぐに料理が復活する。この段落で書いたことを、全て手作業での家事だとすれば、一体何日がかりになるのだろう。こういう地味な作業をし続けてくれていた母には、特に感謝することの多い、今日この頃。やはり、自分がどれだけ母にお世話になっていたことが理解できるし、感謝の言葉を、ほとんど伝えられずに、母が旅立ってしまったことを、最近では、本当に悔やんでいる。

今、母のことを記述しながら、とても強烈なフラッシュバックが来てしまった。パソコンの画面に向かって、頭を空白にする術がなく、深いため息を数回吐いたところで、意識がブログの方向へ戻った。こんな状態なら、もし私に危害を加えた者たちにバッタリと遭遇してしまったら、自分を抑制することができるのか、かなり不安であるし、いっそのこと、今の自分を解放させるためにも、そういう輩たちに会いに行って、制裁を加えたいとも思ってしまう。

昨日、お気に入りのユーチューバーの動画で、仏教の教えの根本となる「因果の道理」についての話を聞いていた。実際に行動に移さずとも、相手に対して不快な感情を少しでも思っただけで、それは罪深いことであり、そのような負の感情は、必ず自分の元へと還ってくるという教え。もちろん、そのような心持ちというか、そんなおおらかな気構えを心に留めておくということは大切だが、やはり、人間には、感情というものが付き纏い、そこにはいくら無にしようとしても抑えられない欲望がある。だからこそ、様々な宗教では、自我を自生する方向へ自分を律する教えが根底にあるのだと思う。宗教家でもない私が、こんなことを書き綴るのは間違っているのだろうけれども、やはり、自分の中にいるもう一人の自分というのは、かけがえのない自分と共に、切り離さなければならない自分でもあるのだ。

人間は、実は実態としてはひとつなのだけれども、心の中では多面的であり、そこを自覚しながら日々の行動を顧みなければならない。もちろん、生まれ持った性格や性質というのを変化させるというのは、並大抵のことではないし、ほとんど無理に近いのかもしれない。ただ、自分の中には様々な欲望を持つ自分がいて、それがどの角度へ飛んでいくのかということはまったくもって分からない。きっと、それは神様仏様でも分からないはずなのだ。唯一、それを知っているのは「時間」だけなのかもしれない。だからこそ、時の母体の中で眠っている自分の中に、無限の可能性を感じるということは、極めて大切な祈りなのではないだろうか。少なくとも、今の自分はそう思っている。

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