思考力

「心技体」。「道」につながる。

 

それにしても「新型コロナウィルス」の強情っぷりと粘り強さは、形容し難いほど並大抵ではない。なんでも、最近では「洗面所クラスター」「歯磨きクラスター」などというメディアの言葉があるようだ。ただの視聴者獲得の造語で終わってもらいたい。こんなワードが世間一般で定着し、「洗面所クラスターマナーを守ってください」などの注意書きを観たいとは思わない。このウィルスクラスターの原因は、歯磨き中に「エアロゾル」という飛沫が出ることで引き起こされる。そして、たっぷりと洗面所にウィルスが飛散される。それを防ぐためには、歯磨きをしている最中には換気をし、口を閉じて顔を覆わなければならないというなんとも「寮生活」をしている人たちには、苦しい状況になった。

迫りくるウィルスの恐怖に、ただただ怯えるだけで、具体的な対策をしなければ、自分の身に病原菌が降りかかったときに、泣くに泣けない状況に陥る。病原菌は「意思」を持たないとはいえ、人間に対して容赦無く襲いかかってくる。「待てば海路の日和あり」と、悠長なことを言っていられないわけで、とにかく自分でできる限りのバリアを張っておくことが大切。あれこれ悩んでいるヒマは無く、「案ずるより産むが易し」なわけで、キチンとした知識と感染防止策を身につけるべきだ。

精神論ばかりで動けなくなると、自分の考えで行動できなくなるケースも多々あり、家の中で悶々としているばかりでは「積極的打開策」を見出せない場合がほとんど。私も、「引きこもりニート」の状態であったときには、過去に自分を苦しめてきたニンゲンに対する怒りのマグマが爆発するだけで、一向に前へ進むことがなかった。できることと言えば、酒浸りの状態になり、負の方向へばかり猛進する自分の思考回路に歯止めをかけ、苦しさに麻酔をかけるくらいだった。インターネットがなかった時代は、自分だけが中に浮いているような不安だけが積み上がり、真夜中にガタガタと震えていた。

 

もちろん、朝、目が覚めにくくなったり、憂鬱な気分が長引くようになったりしたなら、積極的に休みをとり、精神的な快復をじっと待つことが最重要になる。この時期に無理をすると、取り返しのつかない事態になってしまう。そして、深く沈む前に病院へ行き、信頼できるドクターのカウンセリングと薬の処方を受ける。いまだに、このような快復するための期間をつくることを、「甘え」とか「弱虫」などの言葉で表現する戯け者もいるのかもしれないが、それは、苦しみの渦中にいる人の気持ちを理解する努力すらしていない「アマエタニンゲン」としか言いようがない。相手の立場をしっかりと把握した上で言葉を発するという、発言者としての最低限のマナーを守らなければ、誰かに説教など「決して」できないのだ。

仮に、何を言っても良い世界があったとしよう。ブスとかブサイクとかの肉体や容姿、障がい者や国籍などを無視した差別的な発言、はたまた相手の思想を完全否定することが許されるような環境。これを認めるような世界になったら、どのような現象が起こるだろうか。このような言葉の暴力には、肉体的なダメージよりも、遥かにキツイ傷を与えることがほとんどだ。殴られた傷は、時間と共に癒えるが、深い心の傷は消えにくい。言葉の暴力は、良い経験になったとは言えない重い傷跡を残す。

この憎しみの感情が発展すると、肉体的な暴力にもなりかねない。あくまでも仮の話として、誰を殺しても構わないという世界があったとして(絶対にそんな世界はない)、遺った人間の中で、さらに気に入らない人間が出てきたら、同じように消すことが許さる。そうすると、やがて世界には誰も遺らない異常な世界になる。こうなると憎むべきは、自分っだけになってしまう。それで生きていけるはずはない。

 

いじめられて自死を選んでしまう。また、いじめられたことが引き金となって、痛ましい事件の犯人になってしまったなどという事例もある。過去の嫌な記憶を掻き消すために、全く関係ない人を巻き込んでしまうようなこともあった。過去のイジメの犯人は咎められることないのに、いじめられた人間が、さらに追い込まれるという皮肉な現象だ。

伸びる人と伸びない人の違い。その大きな要因の一つは、自分を大切にしたかどうかとも言える。他人から「甘えるな」と言われ、自分自身にも「甘えるな」と叱咤してしまう。では、このような負の連鎖を解決するために必要なことは、一体何なのだろうか。ひとつ確実なことは、あまりにも状況がひどい場合の対処法として、前述したように病院へ行くことだ。全く恥ずかしいことではないし、薬を服用している人などたくさんいる。昔のような偏見はなくなっているし、具合が悪いのに病院へ行かないというのは、虫歯なのに歯医者に行かずに我慢しているようなもの。修行をしている人であっても、虫歯の治療ぐらいしているはず。別に、根性がたるんでいるから虫歯になることもなければ、根性がたるんでいるから精神を病んだわけでもない。病院へ行って薬を服用することは、それくらい当たり前のことなのだ。

ただ、過去に受けた出来事を引きずって行くだけが正しいかというと、それは全く正しいとは言えない。例えば、過去に自分を苦しめたニンゲンが、土下座をし、目の前でアタマを丸坊主にし、1億円支払ったとしよう。かなり極端な例にはなってしまうが、その後、裁判で有罪判決が出て「死刑」になったとする。それで、物事が全て解決するだろうか。今までの苦しさがキレイさっぱり消失するかといえば、答えは“No”のはず。時間も戻らなければ、過去に苦しんだ事実を消すことは不可能なのだ。一時的に胸のつっかえは取れるかもしれないが、問題解決そのものにはならない。だから、過去のトラウマに対して、怒りの対象に憎悪し続けることは、ハッキリ言って「幼稚な固着」だ。

伸びる人と伸びない人の違いとして、もう一つ挙げるとするのならば、人生を無駄にしていることに気付いているかどうかで決まる。この要素も、とても大きい。こんな偉そうなことを書いている私だって、最近の胸の中は穏やかではない。腹が立って暴力を振いたくなる相手をアタマに思い浮かべ、言い争いのリングを造り、独りで声を上げてシミュレーションすることだってある。カンタンに怒りの感情が消えるなら、その怒りは大したことなかったのかもしれない。怒りの感情の原因は、とにかく強い憎しみを伴うのだから。

 

最近の優秀なビジネスパーソンは、積極的に「瞑想」を行っている。立場が高くなるほど責任が重くなるのは常であり、外部からのプレッシャーが強くなることも必然。そのような中、最前線で闘うためには、やはり「自分の中の自分」との対話を大切にしているようだ。ヨガや瞑想には、科学的根拠とともに、精神を落ち着かせることが立証されている。身体から具体的に心を変えていくという方法は、とても有効だ。ポジティブな精神を作り上げることは、心を整える必要がある。

ただ、心の中で心を整えるのは困難だ。「心技体」というトライアングルの考え方があるが、まさに、最高のパフォーマンスを得るために、身体から心を整えていく方法というのは、積極的に取り入れるべき。私は、日光を浴びてスケートボードの上でユラユラ とカラダを動かすと、思考回路が整い、ブログを書くときの心が落ち着いた状態になる。スケボーは、少しでも気を抜けば大怪我につながるから、脳の指令が全身に緊張感を与え、気づけば筋肉全体がギューっと伸びていることに気づく。決して力を入れない。ただ、次に続くアスファルトの滑らかな部分を見つけ、失速しないように板を合わせる。そうすれば、板は自然に前へ進んでいく。別に、派手な技をやる訳ではない。ただ、太陽の下でスーッと滑っていればいい。心が苦しいなら、カラダを解放してあげればいい。このシンプルな考え方で、とりあえずドン底は避けられそうだ。

そして寝る前は、スマホなどいじらずに、ヒーリングミュージックを聴いて寝落ちしている。なんとも贅沢な過ごし方に、身も心も喜んでいる。

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