思考力

Rolling in the Barber.

今年の年賀状は、いつもの床屋の店主の力添えがなければ完成していない。カット前の髪型を撮影してもらい、店主が私の側頭部から、後頭部にかけて一回転して撮影をする。カット前の私の表情は、ヒゲが伸び放題で鬱屈としているが、正面に戻った時には、髭もすっかり剃り上げたニッコリ笑顔で微笑んでいる。

私は、毎年の年賀状は、凝りに凝ったものを作成し、お世話になった恩師や、前年に感謝するしかない人たちへ、一言の心のこもったメッセージを付け加えて送る。この毎年の儀式は、小学校1年から欠かすことはない。母親の影響が大きいようで、母はいつも「気は心」と言って、周りへの感謝の気持ちを伝えることの大切さを教えてくれた。「両親共働き」というのは、今でこそ当たり前だが、昭和の時代にはレアで、甘えたい時に親がいないことで、誰にも相談できない悩みを親に相談できないこともしばしばだった。なぜ故に相談できなかったかというと、忙しそうにしている母の仕事の邪魔をしてはならないという、私なりの配慮だった。その分、少し遅れた反抗期は、凄まじいもので、自戒の念が絶えない。

聖なる母の存在

ついさっき、今年の初カットを終えた。いつもの床屋では、髪型など店主に任せっきりで、やはり話題は「緊急事態宣言」についてだった。床屋の情報範囲は広い。カットをしている間に、客から様々な情報が嫌でも入ってくるので、店主の情報は、私の地元の貴重な情報源として重宝する。仕事ができるタクシードライバーや、カウンター式の居酒屋のオーナーたちは、客たちを飽きさせぬよう、時事問題のニュースを幅広く仕込んでいる。確かに、客の話題について自分が知らないことだらけなのであれば、大切なリラックスの時間を求めている客は、愛想を尽かしてグチのひとつでも聞いてくれるような他の店に行ってしまうだろう。

とはいえ、今回の緊急事態宣言に至っては、どんなに情報通の飲食店主であっても、避けられない「客足減」。政府が、これでもかと言わんばかりに、飲食産業を叩いている。再起不能の店が続出して、K.Oの嵐。かろうじて立っている店舗であっても、国や銀行さんから「融資」を受けている店舗なのであれば、いつかはお金を返さねばならぬのだから、返済期間がきた瞬間に、バタンと倒れるしかない。下手に動いて「ウシジマくん」のお世話になったら、人生再起不能となってしまう。最悪の状況に追い込まれた時に、混沌とした世界の中で人生の迷路に光を見出せなくならぬよう、自分の未来を守らねば。

そう考えたときに、やはり最終的に必要となるのは「人とのつながり」だと思っている。もちろん、そのつながりに絶対はないのだけれども、打算的なつながり、刹那的なつながりばかりを利用している者に、助け舟などは旋回してくるはずはない。人が自分に対して行ってくれたことに感謝し、たとえ気持ちばかりであったとしても、相手の存在に何物にも変えがたい気持ちを伝えられるのであれば、いつかは自分へ感謝の助け舟が回ってくる気がしてならない。見返りを期待するような生き方は、絶対に慎むべきだが、相手の親切に心から感謝し、時に相手の苦しみを汲み取って、無償の助け舟を進んで出せるような生き方に自分を成長させていく。これこそが、人間ができる最も尊い行いのひとつだ。

今年の「回転年賀状」には、後付けにはなってしまうのだが、巡り巡って自分のところに帰ってくる「あたたかさ」を大切にしましょうというメッセージが含有されている。そして、それは他ならぬ「母親」のあたたかい「共育」から生まれた血の通った教えでもあるのだ。

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