思考力

台風通過後のゼロイチの教訓

 

菅首相が、総裁選不出馬を表明し、政治家同士が誰を支持しつつ自分のポジションをいかに安定させられるかを考えている。昨日のブログでも書いたことなのだが、その情報源が「テレビ」という箱から流れてくる情報であるのなら、それは単なる「音」として処理され、私などの政治に疎く、興味がなかなか湧かない者にとっては、どうでもいい問題にもなりかねない。ただ、今は、YouTubeにて、実際に動いている政治家に対し、芸能人やインフルエンサーたちが、自由に質問できるというシステムになっている。こうなってくると、台本があろうとなかろうと、一般人からの質問のような意見を、政治家に与えることができつつ、その動画に対するコメントが否応なく動画に張り付くこととなる。

新型コロナウィルスであっても同じだ。メディアのネガティブ情報に、摂取後のアナフラキシーに対する問題に、過剰に恐れる視聴者だって、いまだに多くいる。もちろん、メディアの情報をもとに、主体的に自分の考えを固めていくのであれば、それはそれで問題ないと思うのだが、メディアの情報を完全に鵜呑みにしてしまい、自分の行動がガチガチに制限されてしまうことも避けなければならない。あくまでも、生きていくための判断の主導権を握っているのは自分であり、何を基準にして報道されているのか分からず、どこの組織が関与しているのかも分からない大袈裟な情報に騙されてはならない。

話の方向を一気に変えてみよう。私が好きな曲の中の一つに、松任谷由美の『Hello, my friend』という唄がある。この歌は、恋愛ソングのような捉えられ方をしているのだが、実は、世界の憧れだったF1レーサーの追悼曲である。その曲の一節に、「台風が行く頃は涼しくなる」という歌詞があるのだが、この9月半ばあたりになると、台風が来るたびに、このユーミンの歌を思い出し、カラオケで唄いたくなる。今朝は、冷えていて、まさに台風が近づいてきている天候状態。そろそろ秋も深まり、センチメンタルな季節が到来する。私が一番好きな季節だ。

YouTubeのオススメ動画の”Coffee Jazz”であれ、心をリラックスさせる美しいピアノの音調であれ、やはりタイトルには、「Autumn」とか「秋の」などの表記がある。”Punpkin”なんていうタイトルのBGMまでノミネートされているのだから、もう少しでハロウィンも来るという意味もあるのだろう。月日が経つのは早いものだ。

この季節。やはり、秋風が吹き始めると、受験生の焦りというのは一気に加速する。予備校講師や塾講師も、この時期の不安に押しつぶされそうな受験生の精神状態を理解しつつ、具体的な対処法が分からない。いわば、勉強しなければならないという気持ちが空回りしているにもかかわらず、定期テスト2週間前のような気持ちで、勉強に手がつかない。そして、定期テスト三日前あたりで、2週間前から勉強しておけば良かったと思うわけだ。これは、どんな人でも共通していることだと思うが、受験生にとっては、この時期の焦りの導火線に着火した気持ちを理解できているので、簡単に気持ちを抑えろと言うことはできない。

ここで、絶対に知らなければならないことは、「ゼロイチの差」だと思っている。この言葉は、私が付けた固有名詞なのだが、単語にせよ文法問題にせよ、地味な音読にせよ、決められた課題に対して「何もやらない」よりも、「一回でもいいからやる」ということだ。ダイエット中の筋トレと同じ。どんなに疲れていても、腕立て一回だけでも精神的効果は大きい。秋風が増すたびに何も手につかなくなる気持ちを抑えるために、そのような「ゼロイチ」を、ずっと続けることで、何気にスランプが勝手に治っていることが多い。

私のブログ毎日更新であろうとも、極端な話、全身骨折したとしても、全身麻酔をかけらる直前でああっても、一行でもいいから書くという行為をしようと思っている。一行でも書いて仕舞えば、あとは、石ころが転がりいきなり急な坂道を転がり抜けるかの如く、手書きの原稿が一気に出来上がる。この原稿さえ完成させられれば、2000文字程度のブログを書くことは容易い状態となる。サーフィンにおいても、真冬の海に突っ込む前のウェットスーツ に着替える辛さであれ、海に入ってしまえば、スーッと沖に向かってパドリングをできるようになり、それを続けていけば、春には一気に上達した自分に出会える。人と違う大きな偉業を出すた目に、やはり「ゼロイチ」は大切だと言える。

こんなご時世、コロナの問題や、政治の問題の渦中にであれ、個々人間での悲惨なニュースも起こっており、全く面識のない人に、全く罪のない女性が鈍器で殴られ、殺害される事件も、昨日発生してしまった。仮に、節約に節約をしつつも、今日、とうとう消費者金融に借入をする今の自分であっても、全く知らぬ人に攻撃を受け、命を失ったとしたら、その人物を裏毛にも恨みきれずにあの世行き。身の安全を確保しつつ、自分の幸せとは何かということと、日々の生活での「ゼロイチ」を意識できるような生活を送りたい。そして、サラ金問題以外は、とても自由に生きられている現在の自分の人生は、何とも幸せであると、心から実感している。

一昨日から始めていることなのだが、Twitterでは、必ず毎日、感謝の言葉をツイートしていこうと思う。小さなことにでも感謝をし続けることで、幸せのループというのは回ってくると知ったし、何よりも、自分自身と周囲の環境や人間に対しての無情の感謝を覚えられるはずだから。

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