思考力

自分の中の定義

書くネタを考えてみる。寝る前にストレスとなっていることを紙にぶちまけるという習慣も、なかなか定着せず、やはりスタートは、睡眠の話からになってしまいそうだ。マットレスを変えて以来、沈み込む心地よさに、起きるのがもったいないと感じるくらいで、アップルウォッチの睡眠計測時間によると、9時間以上眠っていた。人間の睡眠時間の理想は、8時間程度だから、結構オーバーしている。それだけ心地いい眠りを促してくれていると考えれば、やはり高級マットレスの投資は正しかったのだと思う。

しかしながら、昨晩の夜間頻尿は凄まじく、何回もトイレに起きたのだが、排尿して横になった瞬間にすでに尿意があるという前代未聞の頻尿に、とても苦しい思いをした。しかも三回連続でそのような怪奇現象が起こったのだから、たまったものではない。現在、スケボーによる膝の痛みで、起き上がることがとても辛く、しかも、腰にだって相当の無理がかかっているのだから、このままでは夜尿症になってしまうこと請け合いだ。整形外科的にも、整形外科的にも、なんとか対策はないものだろうか。

今朝は、会長に動いていたルンバ君だったが、私が今コーヒーを注ぎに行った途端、玄関で転倒していた。もはや私の存在というのは、疫病神でしかないのだろうか。昨日も、誰とも会話をしていないので、もはや考え方が、被害妄想になってしまっている。そうこうしているうちに、ルンバは、部屋の掃除も半分も終えないうちに充電ステーションへ帰ってしまった。さすがに、このままではまずいので、再度電器屋へ修理を依頼しつつ、再検査が必要だ。もはや全自動ロボとはいえない。

朝っぱらから、こんなくだらないハプニングが起こりつつ、記事自体も、パッとしない内容になってしまい、とても快調なあさとはいえない。だからと言って、なんかしらの逆転すべきイベントがあるかと言われれば、決してそんなことはない。「FIRE生活」をしていると、一気にボケるというけれども、まさにその状況に陥ってしまっている。ただ、今までのトラウマが自分を新しい方向へ向かわせることを拒んでいるし、動かないことで、自分を守れる何か特別な盾ができるのであれば、それはそれで問題ないのかもしれないと思っている。もう、深い傷跡を心に抱いて生きるのは、まっぴらだ。

今日も、昨日と同じく、車に乗って海沿いを走り抜ける。それを続けられるのであれば、それはそれで大満足だ。それ以上を求めたり、それ以上の刺激を求めたりすれば、必ず自分は深海へと潜り込んでしまうことになる。ほどほどでいいということは、自分の中での妥協を意味しているのではなく、自分の中でのベストを尽くすということを含有している。そう考えることで、自分をいい意味でリリースできるのであれば、背伸びしない自分の姿と出会えるのかもしれない。

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