思考力

水風呂のイエスマン

 

生活に困窮している。これはコロナ禍で初めて起こったことではなく、千葉に来てから、すぐに陥っている貧困状態。私の今までの経緯をよく知っていて、本当に親身になって相談に乗ってくれる自立支援相談センターの方には、毎回感謝しつつ、毎度毎度のこと、心から親身になってくれるがあまり、再び相談に行くことをためらってしまう。もちろん、本来ならば、一回でも支援を受けたのであれば、それを元手に生活を立て直さなければならないのだが、やはり、結局のところ、今回も同じように支援していただくことになってしまった。

自社を設立して一年が経過したとはいえ、時間だけが過ぎ去っていっただけで、十分に生活できるだけの利益が発生したわけではない。このブログで、さんざん揶揄していたフルタイムの会社員だが、結果的には、自活する余裕すら生まれていない私は、この時点の結果において、完敗したと言える。負けを認めつつ、次なる手を打たなければならない。なぜなら、プライドを守る手と、次へ向かうステージの切符を手を両方持つには、あまりにもバランスを取るのが困難と言えるからだ。

今、自分をボロ雑巾扱いした会社に対して、行政の強い圧力をかけている。ただ、この攻撃であれ、仮に自社の売上が十分に潤っていれば、わざわざ蒸し返す必要はなかったのかもしれないし、誰かを攻撃したくなるというときは、たいてい自分に自信がないときだ。そうなると、今の私の生き方というのは、非常にネガティブな方向へ傾いているのかもしれない。しかし、乗りかかった船。やれるところまでは、突き進めていこう。当時、働いて得ていた金であれ、振り返って時給換算すれば、千葉の最低賃金を大幅に下回るどころか、「大赤字」。日銭を得るために働いているような、カツカツの生活の中、今の自分の自尊心にまで悪影響を及ぼしていたような劣悪な環境状況のもと、人生の貴重な時間を、過酷な労働時間として浪費してしまったのであるから、まさに、自分の寿命を縮めた会社員生活であった。

今は、寝起きのコーヒーを生きがいとしつつも、やはり生活に困窮していて、政府の助けを借りたり、政府の力で企業を相手取って戦っているのだから、ボロクソに「政府」を叩きまくっている私の記事も、多少の修正を加えなければならないのだろうか。いや、東京にいたときに、やられっぱなしだったので、今、借りられる力を借りてもバチは当たらないであろう。「人生100年」と言われている昨今、さらに、「老後2000万円問題」など、寿命は長くなりつつも、生活は困窮していくという、なんとも「蛇の生殺し」のような生き方を強いられる日本で、出る杭は打たれてしまうからコソコソとといったような、日本の国民性に従うのではなく、全ては自己責任として、自分から政府に質問責めをしてもいいくらいだ。

まさに、例えは悪いものとして、自分はここにいるのだという存在をアピールしていなければ、後ろにいる自分に気づかないトラックに、なす術も無く轢かれてしまう。今のまま死んでも後悔はしないかという問いに対して、心から「イエス」と言える瞬間というのは、なかなか人生では訪れない。繁殖行為をした瞬間に「ソレ」が訪れたとしても、1分後には元に戻ってしまうという「オス」の性。ニーチェもドストエフスキーも坂口安吾も誰も彼も、文豪と言われる人たち以外であれ、なかなか後悔しないで「死」を受け入れられた者はいない。

先ほどの少し卑猥な話とは別に、一時的な快楽というものは、やはり脳内のドーパミンを蓄えている海馬に訴えかけ、それを分泌させる行動に依存しているわけで、それを分泌している間は、とりあえず「死」という恐怖からは、解放されているともいえる。絶賛大ヒット上映中のアニメであれ、最近始めた没頭できる趣味であれ、やはり、「気持ちいい」と思えることで、苦しみから解放されるという考えは、全くもって正しい。では、具体的に、そのような快楽物質を脳内でドバドバ分泌させられるようなイベントに出会うためには、どのような努力が必要なのだろうか。

こればかりは、個人の性格や、年齢、性別、好み、環境や生い立ち、身体的能力や家庭環境など、複雑に絡み合った複合的要素を均一化できないのと同様、固定化された物差しや、タイ焼きの型のようなモノが存在するわけではない。だからこそ、とことん手を出してみることをオススメする。できるだけたくさん。極端な話、これがベストだと思えるようなイベントに出会ったとしても、どんどん他の分野に手を出し続けるくらいの「好奇心」と「探究心」のスピリットが不可欠なのだ。

そして、冷たい風呂に入るのに気合がいるのは、最初の40秒程度なのと同様、努力する時間など短時間で構わない。少しでも違うと感じるならそこから気楽に脱出してしまえばいいだけの話だ。もし、今、自分の生き方に辛さを感じているのであれば、一度、水風呂に入ることをオススメする。お金があるのならサウナつきで。この、サウナと水風呂のローテーションは、一流のビジネスパーソンなら、ほぼ誰もが行っている儀式ともいえる。もしくは、それそのものを、イベントとしてもいいくらいだ。私は、サウナ代を支払う余裕がないので、水風呂単体の入水は、一切お断りするが、水風呂から何か得られるものがあれば、ぜひコメントを頂きたいものである。

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