思考力

痛みなき角度

昨日ほどではないが、やはり腰の痛みは続いている。腰というのは、なんだかんだ言っても「月」「要」と書くほど、身体を反らすときに重要になるわけだから、ここが痛むのであれば、身体をうまく動かせなくことは当然のこととなる、たった今、腰を使って何かやることはなかったかと考え直してみたら、掃除をする事を思い出し、もはや定番となった床のモノを退けるという作業が終わっていたので、ルンバのスイッチを入れた。私と違って、ルンバは今のところ外傷などなく、元気に掃除代行の仕事を担ってくれている。

とはいえ、さすがにトイレ掃除と玄関掃除、観葉植物の日光浴などの細かい事をやってくれるわけではないので、腰をかがめる動作を完全に免除されるわけでもない。やはり腰は身体にとって「要」であることは間違いない。今、ふと釣りに行きたくなって天気予報を確認すると、あまりいい天気ではなさそうで、行かない口実ともなった。やはり、なんだかんだ言っても釣り熱が再発したのだろうが、こんなに腰が痛むのであれば、やはり自粛することが正しいとも思えるので、特段強制的な義務でもないのだから、無理に釣りに行くこともない。

起きてからその日の予定を考えるという何とも贅沢な”FIRE”生活を送っている。これはこれでストレスとは無縁であるかと思えば、なかなかそうとも言えず、やはり何かしらの約束事や待ち合わせがなければ張り合いがないとも言え、こんな生活が半年も経たないうちに手持ち無沙汰になるなんていうことは、あまり考えてはいなかった。もちろん、ブラック企業で働いていた頃の痛みすら感じなくなりつつあった生活と比較すれば、とんでもなく自由気ままな生活であるのだから、心の底から感謝の気持ちを胸に生活している。

この腰の痛みの再発から二日経過したのだが、やはり上手く動けないとストレスは大きく増大するもので、過去のトラウマが大きく首をもたげてくることは否めない。昨晩であっても、ブラック企業で務めていた頃の理不尽な扱いなどを思い出して「クッソー」となってしまい、日付が変わるまで眠りに落ちることはできなかった。こればかりは何とも苦しいことだし、こんな気持ちがずっと続いていくのかと考えると、なかなかやるせない気持ちにもなってしまう。

なんだかんだ言っても、自分の中で完遂できた断捨離や掃除も、今はこのブログを書くという行為と同じように習慣になりつつあるわけだし、まんざら悪いことばかりでもない。物事には必ず二面性があることが真理であるのと同じように、何かの現象に対して光の部分が見られる角度に立ち続けるというのは、とても大切なことだ。そして、その位置を常に確認し、そこにスタンスをとっていくことだって、生きる上では欠かせないアクションなのである。だからこそ、心の腰痛であれ、痛まない角度を探し、そこを労わるような角度を見つけて動くことは、とても大切なのである。

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