思考力

開拓して見えるもの

マットレス が心地良いからなのだろうか、それとも覚醒して嫌な思い出を思い返したくないからなのだろうか、全くもって起き上がることが困難だった。ここ数日の間、このような現象が継続している。ただマットレスを上げるだけの動作が、今の自分にとってはあまりにもハードルが高く、マットレスを横にしたままルンバを作動させた。もう、朝のお楽しみのコーヒーを飲むこともしない。召使いがコーヒーを持ってきてくれるのであれば、一口くらいは飲めるのかもしれないが、とにかく今の自分は、肉体的に何かをやろうとしたところで、自分の中のエンジンブレーキが強くかかってしまい、動くことで生じる衝撃に、酷く不安を感じてしまっている。

スランプなのだ。何一つ障害がないからといって、自分の中に燻っている精神的な障害が取り切れるとも限らず、いくら海辺のドライブをしてスケボーを蹴り込んだところで、自分の心のワダカマリまでもが綺麗さっぱり消え去ってくれるほど甘くはないのだ。肉体的な衰えも、徐々に私の身体からで始めていることも確かで、老いと不安という両側面から、自分の気持ちというのは、揺れ動いているのである。これを、振り子や弥次郎兵衛のような例えをしたところで、全く持ってその繊細な表現とは程遠くなってしまうのだから、下手な比喩を使うことも避けた方がいい。

ルンバが、玄関の高さを認識できないまま転倒して止まってしまった。修理に出す前には出なかった症状が出てしまい、果たして修理に出したということそのものに疑問が湧いてきてしまう。これを、自分の心身に当てはめたところで、やはり下手に衝撃を与えたところで、苦しみの元凶というのは消えないのだから、ある程度のところまでで、そのような苦痛を放っておいて、自分の中で濁しておくというのも一つの手なのではないだろうか。そうしなければ、自分の心が、どんどんとすさんでいってしまうのではないかという不安が、影のように付き纏ってくるばかり。そんな影を消したいのであれば、詰まるところ暗闇に逃げ込むより他はないのであり、自分の姿そのものが誰も認識できなくなるばかりか、自分自身が自分を見出せなくなってしまう。その先に、光があるという保証もない。

アップルウォッチから割り出された睡眠時間が長く、私の睡眠の管理という大切な人生の設計図が整っていないことがわかる。また、この記事を書いている間に、LINEの通知がきて、時計からバイブレーションが伝わった。人間の集中力は、阻害されると30分程度だったか、元に戻るのに時間がかかると言われていたが、自分の中での心身のバロメーター管理をする上で、この時計とのコラボレーションの仕組みを改善することが大切なのだと思う。決して、デジタルデバイスを否定的に見ることなく、自分と関わらせていくということを念頭においておかなければ、確実に光から遠のいてしまう。この事実を認められなければ、自分の中で、AIに対しての恐怖心まで抱いてしまいそうだ。

果たして、このスランプを乗り越えられるのだろうか。確実に言えることと言えば、時間は流れているのであり、確実に自分の寿命は削られているということだ。その制限のある時間の中で、自分自身をいかにして解放させるかということを、切に考えていかなければならない。自分の殻に閉じこもっているだけではダメだ。自分の中の扉を開き、前にあるものを開拓していく。そしてそこから光が漏れたのであれば、そこに向かって突き進むべきなのだ。

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