思考力

甘えないための打開策

目は醒めているのだが、なかなか布団から出られない。目覚めのコーヒーも、何やら気が進まない。洗濯物を回すのが、今日の一大イベントだ。仮に、ドラム式洗濯機でなかったら、私の部屋は、生乾き臭でムンムンとした不潔極まりない汚部屋と化している。ドラム式洗濯機は、人生の中で私が一番買って良かった物だと胸を張って言える。もし、タテ型洗濯機に戻らなければならないのであれば、私にとっては、洗濯板で服を洗うほどの手間と労力に等しいと感じるはずだ。

ただ、来月からは、強制的にタテ型に戻らなければならなくなってしまうかもしれない。私にとって、5年間封印していた依存症が、思いっきりスリップしてしまった直近の8ヶ月以上。もはや、自力で依存症から脱却するのは無理だと感じ、自分なりの白旗を挙げて、依存症の病院へ入院しようと思っている。ナマポなので、入院費は極限まで抑えられるようだ。もちろん、私の代わりに誰かに入院をしてもらって治るわけではないのだから、現在つながっている僅かな仕事口や、ぶら下がったままの仕事も、全てゼロの状態にする他はない。

明日、大きな仕事の面接があるのだが、仮に、それに採用されたとしても、入院するのであれば、全く意味はない。最近は、ずっと依存症関連の動画ばかり視聴しているが、やはり、何かに取り憑かれてしまった人の末路というのは、なかなか周囲には理解されず、肉体的な蝕みばかりではなく、精神的苦痛、特に阻害されてしまうという「孤独」に耐えられないようだ。依存の魔の手からガッチリと全身を捉えられた人間である私も、とても共感できる感覚である。

根性論では片付けられないものの、周囲からは根性が足りないと言われる苦しみ。傷痕に塩を塗られるような嘲笑に満ちた皮肉。そのような矢尻から逃れるためにも、私には専門機関への入院が必要なのだと思う。何かに依存するような甘えた人間が、甘えを治療するために入院をするのは甘えだという輩に言いたいことというのは、事の重大さも調べたり理解しないような「甘えた」発言をしないでほしいということだ。

とりあえず、明日、入院の相談をしに、市役所へ行こうと思う。そのまま手続きに入るのも悪くはない。もはや、個人の力では解決できない問題なのだと認めなければならないのだ。

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