思考力

痛みは勲章


身体中が痛い。昨日は、三連休だと思っていたのだが、私の手帳だけが三連休で、世間は「マンデーブルー」。そんなこともつゆ知らず、軽くサーフィンでもと思い、サーフボードを車に突っ込んで海岸に行けど、サーファーはいなかった。レベルを問わずごった返す海も嫌だが、荒れた波のときの誰も入っていない海も、なかなか怖いものがあった。

別に、インドネシアのロンボグで波乗りをしたわけではない。昨日の入水地は、日本の外房だ。それなのに、身体中が痛くて、眠ることさえできない。今や、筋肉痛が、2日後に出る年齢になったが、今回は、当日だ。特に上半身。首も、肩も、背中も、肩甲骨も痛い。

その原因は、断捨離を極めたくて、敷き布団まで捨て、ヨガマットの上で寝ていることだろう。いや、それしかない。ダイエットを決意した時の体重の増減もそうなのだが、とにかく私の行動力と意思というのは極端すぎて、身体がついていけない状態になる。

現在、夜中の1時であるが、もはや痛みで眠れる状態ではないので、真夜中ではあるが、早々と朝のコーヒーを淹れ、JAZZをかけ、この記事を書いている。自然音を流さずとも、サーフィンしながら、さんざん波の音を聞いたし、外では、鈴虫が秋の雰囲気を掻き立てるように「リンリンリン」と鳴いている。コレを一本書き終えたら、YouTubeで「魚の捌き方」の動画でも観よう。食費を浮かせつつ、余暇を楽しむには、釣りは素晴らしいレジャー。筋肉痛になることもない。

考えてみれば、会社員で、身体がボロボロの状態で、ストレス性過食になってベルトの穴が無くなっていったり、ヤケ酒をして体内時計がズレて、いつが1日の始まりかわからなくなったり、運動不足で、原因不明の身体の不調を訴えるようになったら、その治療費や出費の方が、今よりも高くついてしまう。そう考えると、極貧状態とはいえ、起業して独立したことは、大正解だった。振り返れば、ブラッキーな働き方に洗脳されかけていた。今、こんなに強い筋肉痛を味わっているということは、自由を掴み取った「勲章」でもある。

毎日、スケボーをし、事あれば、車にサーフボードや釣具を入れて、夜明け前に車を出している私は、もはや、近所の顔でもある。そんなときに、「仕事は?」と訊かれ、「オンライン予備校の代表です」と答えるのは、快感である。さらに、そのような嬉しい質問をしてくれた方に、自社の名刺とチラシを渡すのも、更なる快感である。

ただの「明るい中年ニート」だと思いきや、予備校の経営者と名乗る大物。こうなってくると、気持ち良い挨拶をする私に向けられる人道的支援も厚い。挨拶をすれば、缶コーヒーの差し入れや、向こうからの温かい雑談を投げかけてくれる。東京にいた頃は、近所と冷戦の火花を散らしていたが、外房移住作戦が成功し、コロ助の数字も、東京とは比較にならぬほど低い安全地域。平和だ。

今の私は、幼児教育から大人の思考力学習、さらに、受験指導であっても、国公立大早慶医学部の大学受験、私自身が取得してもいない英検一級の指導もできるはずだ。自分が中心となり、自分の部屋からアイテムを取り出して授業をできるオンライン指導の利点があれば、今までできないであろうと思っていた教育が、今のところ実現可能な状態だ。中心人物が「自分自身」とであるということも、大きなポイントでもある。訳の分からないタテ社会に潰される心配もないのだ。

授業をする範囲のあやふやな箇所は、参考書ではなく、YouTubeで基礎的なことを、予め仕入れておきつつ、それを授業で披露すれば良い。そして、なによりも、ずっと理想の教育をさせてもらえずに、もがいていた自分の積み上げた教育スキルが、一気に開花したのである。毎度のことながら、表現が難しいのだが、私はコロナの「勝ち組」なのだ。

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