思考力

渦中にあるホワイトゾーン

久しぶりに深い眠りを得て、長く寝られた。やはり、こんな日はフラッシュバックがくることもないし、最近どっぷりとハマっているYouTube動画作成や、料理、洗濯、今後の人生の計画などを、次々と実践したくなる。これは、病的な気持ちの空回りとは違い、しっかりとした意識が伴っているので、何ら問題はない。やはり、双極性障害と睡眠の関係というのは、とても強く絡み合っている。だから、睡眠ということをしっかりと意識し、そこが狂っているのであれば、やはり具合が悪くなることは間違い無いので、何よりも気を張っていなければならない。

それにしても寒い。昨晩は、フリースにダウンジャケットを着て寝た。もう、真冬の格好だ。1週間前は、30度くらいあったのだが、今日などは、20度そこそこ。車の気温計も、一気に10度下がっている。気温の乱高下に、自分の精神が持っていかれないよう、こちらにも十分気を付けたいものだ。もう、昨日までの気持ちがズーンと沈んだ、気怠さを伴った生活は避けたい。釣り糸を垂らしながらも、何やら気持ちばかりが焦っていたのだが、そのおかげで、生活サイクルがもとに戻ったのだから、昨日、釣りに行ったことはいいことだと言える。

今は、取り立てて予定もないし、誰かとコンタクトを取っているわけでもない。それはそれで、若干寂しいとも言えるが、何らかの足枷になるような関係や用事ができてしまったのであれば、もう自分の生活にエンジンブレーキがかかってしまうのではないかと思っている。今は、SNSも発達しているから、自分と同じような境遇の人たちが、どんなことを考え、どんな行動をしているのかがよく分かるし、自分との共通点と相違点がわかれば、自分にとって必要なことは、無駄な人間関係ではなく、自分の心の平安を維持できるだけの情報と、そつの無い生き方を模索することだと思う。もう、人間関係に期待することはしない。あくまでも、自分の人生を主体に生きなければ、どこかで自分に対して妥協してしまう客面に出くわしてしまう。それだけは、絶対に避けたい。

車を運転しながら、スマホとナビを連動させて、音声だけでYouTubeを楽しむ。そもそも、YouTubeを娯楽として楽しんでいるだけでは、ただの商品コマーシャルが抜け落ちたテレビ番組を観ているに過ぎない。あくまでも、自分の娯楽だけを求めるばかりなのであれば、とっとと自分の人生について考える時間位変えてしまったほうがいい。ただ、YouTubeを自分の新しい世界を広げるきっかけとなるツールだと考え、それを積極的に取り入れる姿勢があれば、とんでもない有益な情報資源を、たっぷりと享受できる媒体と化す。これを利用しない手はない。

外房を南下して、マクドナルドを境に、そこから北上して少しずつ家へ向かう。海辺の駐車場があれば、そこに車を停めて、波を観ながら、次の動画を探す。何とも贅沢な時間を過ごしているのだろうかと感謝の気持ちが湧いてくる。そして、その受け取った情報と、今の自分の置かれた状態を考えて、長期的なスパンで、自分の生き方を考えてみる。それが、薬を服用するのと同じくらい、自分の心を安定させられる行動となる。

あるものを使用しているときに、それを有益にできるか否かというのは、やはり、自分の中の問題意識に依存する。もちろん、全てをクソ真面目に受け取る必要はなく、娯楽の一環として楽しむべき時も必要だ。ただ、そのように両手を万歳して、無批判に快楽に没頭していれば、そこを突かれたときに、突かれている事すら気づかずに、搾取される側になっているのかもしれないという危険性は、常にもっておかなければならない。そして、そのように同じ方向を向いていることにも気づかない人たちが群がっているポイントに、次のビジネスチャンスが転がっている可能性だってある。そこを見つけ出すことが、今の私の課題なのだと思っている。

-思考力