思考力

昨日のハプニング

月曜日の朝。「朝7時」という健康な人丸出しの人の時間帯に、朝日を浴びて書くブログは、何やら自分にとって久しぶりで、少々照れくさいというか、何やら私などが爽快な気分になる資格があって良いのか申し訳なくなる。6時に軽く目が覚めて、そのまま寝たような記憶もありつつ、さらに7時半に起き、コーヒーだけセットしてコアラマットレスに再度横たわっても、眠気が来なかった。そのような感じで、普通の会社員にとって憂鬱極まりない「サザエさんブルー明け」の月曜の朝、私は爽快感と共にMacのキーボードを叩けている。

集中系のBGMの選曲。やはり、自分にとってピアノの音は耳障りで、何やら頭と喉と胸につっかえる振動を感じてしまうので集中力が遮られる。AIが候補としてオススメしてくれているのは、“Saturday Morning Jazz”と”Winter Coffee Shop Ambience"。両曲とも、曜日と季節が違っているので、いつも通り“ Bossa Nova”をBGMにしてブログを書いている。今、意識がシッカリとしていて、何やら前向きな気分であることを実感している。ここ数週間に渡る異様な負のループをアッサリとクリアしてしまったかのようだ。こんなにも楽々とネガティブイメージが消えるとは思えないが、あまり消極的にならず、今の気持ちを大切にしなければとおもう。

この時点で約500字程度の文章が、入試問題に出てきそうな「随筆」のような文章であり、読者の方にとっては、呆れるほどどうでも良い内容なのかもしれないが、毎度のことながら手書きの原稿は用意してあるので、ここが伏線となって、これからの文章を具体化していくことになる。それまで、もう少しだけ「昨日の出来事」のことまで書かせていただきたい。とりあえず、久しぶりに目が醒めても、ブログの下書きをするまでは、自分に危害を与えたニンゲンのことを一切思い出さないでいられたので、少しだけブログの中に、ポジティブループのことも記しておきたかったのだ。

では、もったいつけずに書くが、昨日は初対面の人とスケボーをすることができたのだ。ただ、それだけの刺激でここまで自分の心情に変化が起こるとは思えていなかったので、昨日、一緒に滑ってくださった若い女性には感謝する他ない。私が「思考力養成予備校」を設立していることを、すでに知っていらっしゃる方だったので、このブログでベタ褒めをしてしまうと、その方が仮にこのブログを読んだ時に、変な気を起こした中年だと思われたくもないので、「若い女性」ではなく、「一人の人」とスケボーを滑ったと思っていただきたい。

やはり、自分は毎日毎日ブログを書き、その書き上げたブログを確認して、一目散にスケボー を蹴っている。これは、完璧に自分の生活のルーティンになっているので、自分の腕前がどの程度かという客観的なレベルを知りたかったことと、果たして東京にいた頃のように、初心者へ滑り方を正確に教えられるかなどの試験的なことを、実際に試したかった。また、千葉に越してからは、友人らしい友人がいなく、一人で過ごしている時間が圧倒的に1日を占めていて、他の誰かとコミュニケーションをとることが、今回、毎日の習慣となっているスケボーだという気持ちに胸が躍り、セカセカと落ち着かない気持ちがあった。

私のブログのほとんどの記事において、自分のフリーランスの特権として「一人はサイコーだ」という内容を盛り込んでいたので、いざ誰かとつるむということには、かなりの矛盾と違和感を隠しきれなかった。自分のやろうとしている行動が、側から見たら「どうなってんの?」という摩訶不思議なQ&Aを引っ掛けられそうだ。やはり、自分がやろうとしていることそのものが、今までの宣言を逆行していて、結局のところ、ひとりに耐えられていないのではないかという自責の念にとらわれていた。ここは、自分が待ち合わせまでに相当ソワソワそしていたことからも容易に理解できていた。

今日限りになるかもしれない「爽やかな朝」であっても、それまでの誰かの怨霊に満ちたかのような自分の負のループから抜け出せた解決策は、一度自分の凝り固まった考えを逆行させたことで生まれてきた産物であり、全く悩まない生き方ができるという秘伝の術があるわけではないにせよ、ストレスを上手く手懐けるためには、いっそのこと180度反転させる機会も必要なのだと感じられた昨日の出来事だった。毎日ブログを書いていると、自分の考え方に対し、無意識のうちにしがみついてしまっていたことも事実だったと気づき、日々のスケボー生活から、今までの考えに対して正反対へ向かうベクトルを掴めたことから、毎日の習慣をうまく活用できたということに大きな成果を見出すことができた。まぁ、多少大袈裟ではあるが、一時的であるかもしれないにせよ、結果的に良い朝を迎えられているのでOKだ。

千葉外房で、ひっそりと暮らしていて、そちらの生活に充実感を感じていた。そして、東京で誰かと待ち合わせをしていた頃を、時間の無駄だったと思い込んでいたが、少しは意地を張っていたということが、昨日の出来事で分かった。ひっそりと一人暮らしをすることの方が、自分のキャラクターにマッチしているし、これからも、こちら流れを主軸として生きていくことは間違いない。ただ、山奥で生活する仙人でもないのだから、たまには誰かとの交流も大切なのだと思った。

フットワークを軽くしておくことは、このご時世では特に重要になってきており、大きな船にしがみつきつつも、その大きな船そのものを転々と変えていく器用な人もいる。例えば、本来考えられているのは、本業を軸にして副業を多岐に渡らせるのが基本的な考えだと思われているが、副業はそのままに、本業を変えていくような変則的な働き方をしている人がいる。しかも、その人の年収は、普通のサラリーマンを大きく上回っている。やはり、エキセントリックな生き方をしていなけば、他を大きく引き離すことはできないということを、如実に表している。だからこそ、信念そのものを根底から覆すことは問題があるが、生き方や考え方には、常に柔軟性を持たせていくことが必要。これは、転びかけたときに、瞬時に身体をリカバリーをする必要があるスケボーと極めて酷似している。

昨日、ご一緒してくれた方は、ヨガや剣などにも精通している方で、精神的にも肉体的にもバランスが取れていた。ヨガや剣などのような、歴史が長くて、人間の精神や肉体をスピリチャルに刺激して整えるような神聖さは、歴史の長さという観点から考えると比較にならないとはいえ、スケボーも神経を研ぎ澄ませておかなければ、肉体的に大きなダメージを喰らう。ただ、夜な夜な街灯の周りにタムロして、ご近所迷惑極まりないスケボーをしている連中が目立つ中、やはり比較の対象とするのは、大袈裟であると判断されてしまうのかもしれない。やはり、世間一般の方のイメージというか、固定概念を一変できるほど、スケーターの生き方は宜しくない。

世間一般のイメージが大きく変わったこともある。例えば、株や債権には「怪しさ」が伴っていたことは、拭えない過去の事実であった。ただ、それは既に「過去」。今は、銀行に預けておくことは、貯蓄が増えないどころか、インフレ率が高まったのであれば、実質減っていくことになる。それを理解しているのであれば、非課税枠でインデックス投資をやらない理由はない。もちろん投資に100%は無いにせよ、今後、AIの進出で銀行員が職を失う時代がそこまできていることからも、銀行に預けていることであっても、100%資産が安全だと言い切れない。

もちろん、資産が少ないうちに、短期投資や集中投資をしようとは思わない方が良いし、ギャンブル的な投資で利益が出たとしても、私のような弱っちい意思しか持たない、元ギャンブル依存症の人が、タナボタを狙うのはキケン。とはいえ、このようなコロナ禍で、緊急事態宣言の目的が不明瞭で、政治家がどこと繋がって、我々国民のお金を送金しているのかも分からないのだから、自分の資産を長期投資へ回す窓口は作っておいた方が良い。私も、ほんの微々たる投資だが、いつか大きな額を毎月積み立てられるように、「積立NISA」の口座は開いていて、そこにコツコツと投資に回している。スケボーも毎日5メートルで良いから継続することが大切で、昨日の人にも、そこだけは強く強調しておいた。

 

 

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