思考力

光ながら磨き上げる

ここのところ、朝の鬱とフラッシュバックは酷い。とはいえ、朝限定とも言えず、いつもイライラしていたり、過去のトラウマが心の中で噴射して、何も手がつかなくなる。もちろん、外出する気なんて起こるわけもなく、昼過ぎにスーパーで購入したカロリー添加物たっぷりの食材と、人工甘味料まみれのお菓子を食べるだけ。それに加えてやることといえば、YouTubeの視聴くらいだろうか。そんな気持ちの上がらない朝に記事を書くことなく、今回に限り、日付跨ぎで書いてみることとする。あと30分程度で日付が変わるところだ。

いつもと変わらないチャンネルを観て、いつもと変わらないトラウマに苦しむ。ここのところの食生活を考えると、明らかに体重も増えているだろうし、そもそも購入したことも忘れていた体重計にも乗っていない。風呂に入るということが、とんでもなく困難なハードルであり、裸になって、洗濯機の下に収納した体重計に乗るなんていう労力は、今の私には残っていない。そもそも、体重計に乗って、十のくらいが1つ上がっている事にショックを受けることさえ面倒くさい。もう、傷つくのは懲り懲りだ。

何の気なしに、YouTubeで掃除のチャンネルを観ていたら、何やら掃除がしたくなり、重い腰を上げつつ、汚れきっていたトイレ掃除を始められた。中腰にかがむと、分離してしまった腰が痛み、膝をついて掃除をすると、膝がガチガチに痛む。もはや、掃除をするという行動そのものが、大きな重荷になってしまっていた。ただ、コルセットの固定を感じつつ、膝に負担をかけないように掃除をしていれば、何のことか掃除も捗るもので、トイレもシンクも輝きを取り戻した。ずっと気になっていた風呂場の掃除も、明日のスケジュールに組み込みつつ、頑固なカビに除菌スプレーを大量にかけて置いた。明日、水をかければ、ほとんどきれいになっていることを祈りつつ、仕上げでさらに磨きをかけようと思う。

こうやって、夜に記事を書きつつ、起きてからのことを振り返ってみると、減点方式ではなく、加点式に物事を考えられるような気もする。たまたま掃除をしたことも良かったのかもしれないけれども、文章を書くということそのものが、自分を強く支えるようだ。朝に書いている記事も、意図的ではなく、書いているうちに前向きな着地点になることが多いし、やはり文字を綴るということは、少なくとも私にとってみれば、かけがえのない行為であることは間違いない。そして、もうすぐ日が変わるという時間に書くという行為をすると、朝にはない落ち着きのような気持ちの鎮まりを感じることができる。これは、なかなかいい発見なのかもしれない。

このような生活がいつまで続くのかはわからないのだけれども、少なくとも大晦日までは変わらないと思われるし、それならば、大掃除をしなくても済むくらいの掃除を、毎日の積み重ねとして行うということは、積極的になるべきなのだと思う。磨くということ。拭きあげるということ。そして、輝きを得るということ。それぞれの現象には、やはり「達成感」という付加価値がついてくる。これは、間違いない。それならば、私の中で具体的な行動として継続すべきこととして、この感覚をキープするということは、絶対に貴重なことであると言えよう。

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