思考力

内観して見つけた産物

昨晩の寝落ちは案外良かった。BGMに寝ながら瞑想の音声を流して、そなままストンと眠れた気がする。目が覚めてシンクに目をやると、料理を保存しているタッパーが残っていたので、瞑想してから眠れないことに焦って食べてしまったのかもしれない。おそらくそうなのであろうが、やはり昨日の睡眠は良好だったと言える。目が覚めてから、昨日のような深い気分の落ち込みもないし、今日は一日どのように生活できるのか、少し期待の気持ちも出てきている。こうやってブログを書きながら、自分の気持ちを少しでも上向きにできるのならば、自己暗示としては十分なのかもしれない。

YouTube動画のアップロードにも慣れ、もう2週間以上経つのだが、数日で200回再生以上の動画も出てきており、やはり指数関数的に伸びていくと言われているYouTubeの成長というのが、今後の楽しみでもある。やはり、なんだかんだ言っても、自分の中には確かに期待できるものがあるようだし、世の中満更ではないという気持ちにもなれる。多少のこじつけでもいいから、そんなポジティブな気持ちというのは、絶対に持つべきなのだろう。また、自分への追い風として、YouTubeの広告収益の対象のハードルが緩和されたり、学習系のコンテンツの動画には、収益が優先的に付与されるという新しい取り組みも行われるようだ。そろそろ、英語学習の動画を作成しようと考えていたので、まさに渡りに船と言える。

空気もひんやりとしていて気持ちがいい。観葉植物を窓際に置く。水やりも清々し気持ちで与えてあげられるし、植物たちからも癒しを与えてもらえる。負の側面を見てもキリがないし、その逆もまた然り。そこで人間は、悩み、葛藤するわけだけれども、そこに人間らしさというのが含有されているとも思う。そこに、奥行きが生まれ、文字やアート、芸術などが生み出される。苦悩の果てに、素晴らしいものが生み出され、そこに魅力が出る。そこには、ギラギラした輝きではなく、滲み出るような深みのある艶が出るのだ。まるで、ウッドやレザーの経年変化のような、時間のみぞ美しさを出せるツールはないといえるような、奥行きが輝く。深まるほど暗くなるという概念が覆り、深まるほど輝くという逆説的な現象が起こる。これは、まさに神秘的としか言いようがない。

自分を見つめるということ。見つめて目をそらさないということ。どうしてこんなに辛いことなのだろう。ただ、そこにしか自分の可能性は見出せないし、そこにこそ自分の成長の足がかりはない。それが真実なのだと気づいているのであれば、やはり自分の中を磨くという心構えを失ってはいけない。そして、それを繰り返すことによってこそ、自分の中に魅力を感じてくれる人たちが集まってくる。これは、決して承認欲求なんていうちっぽけな見栄ではない。不思議と自分の中に魅力を感じてくれる賛同者との時の流れの一致を期待するという表現がいい。芸術家が孤独であり、そこから「美」が生まれる。そして、そこに魅力が出るのであれば、そこに孤独という産物の価値が生まれるのではないだろうか。

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