思考力

沼底の綱渡り

毎回毎回、寝起きのことばかり綴るブログだが、やはり双極性障害の当事者として、ほぼ9割方の気分の波というのは、睡眠状態に関与していると思うので、起床時の寝言ともいえぬ文章が、起き抜けの状態を書いてしまうのは仕方のないことだ。今日は、相変わらず起きるのがしんどいし、寝付きが悪かったのを象徴する様に、玄関には深夜に買ったジュースの缶が置いてある。昨晩の私も、自分を眠らせることに困難していて、今朝の私を困らせない様に努力をしていたみたいだ。

90分おきに、うつらうつらして目が醒め、やっとのことで、マックのキーボードを弾いている。コーヒーのストックや、食器用洗剤のストックなどの消耗品が切れているので、今日あたりは、チマチマした買い物でもしようかと思っている。また、もはや瀕死の状態の観葉植物も、私の身代わりになってくれたということで、私の部屋から引退してもらい、新しい仲間を向かい入れようと思う。大体、どんな観葉植物が強く育ってくれるのかということも分かってきたし、十分すぎるほどのケアをしていても、どうしても枯れてしまう植物の見分けもついてきた。このように、目利きができるようになるというのも、趣味が拡大していく醍醐味でもある。

今日は、ポカポカ陽気。海岸線を飛ばすにはもってこいだ。ただ、明日からは一気に気温が下がるようで、この気温の下降とともに、精神状態が下落することも十分考えられる。これには、ケアが必要だ。最近は、とても好調にYouTubeの動画をアップしているのだが、やはり、過去の記事を動画にして見ると、かつての辛かった記憶などが追憶されてしまい、とても苦しい気持ちにもなってしまう。だから、自分の動画作成というものが、確実に自分を追い込んでいることも確かなのだ。当時の記事が、過去の悪いイメージならば、それを基準にした過去を再び思い出してしまうわけだから、やはりボディーブローを受けた身体に、思いっきりストレートパンチを受けてしまうような状態になる。

これに抗うのは、果たして自分にとって大切なことなのだろうかと疑問に思ってしまうこともあるが、とりあえず今の時点では耐え凌げる。しかし、今、苦しさを感じているうちに、自分への負荷を軽減させなければ、取り返しのつかないことにもなりそうだ。私などは到底追いつけない、「文豪」と言われる偉人たちが、漠然とした不安に苦しめられていたことを考えても、少しペースを落とすべきなのかもしれない。やはり、自分を追い込むような悩み方というのは、当然自分を苦しめるだけなのであり、本当に自分を思いやるというのは、自分を適度にリリースさせてあげることなのだとも思う。

双極性障害という不治の病を抱えて生きていく。そして、そこには自覚症状のない病魔が襲いかかってくることもある。そこを凌げなければ、何をもってしても動かせることのできない、もう一人の自分の影が襲いかかってくる。何度も、奈落の底に突き落とされた見えない不安というのは、実は、自分自身の影だったということに気づく。そして、その影というのは、自分の意識していない労力の中に潜んでいて、ブレーキが外れたエンジンの負荷に耐え切れないときに、フッと現れる。激しい躁転をした後に、一気に奈落の底に落ち込んでしまう底無しの鬱という沼に苦しむというのは、本当に辛いことだ。やはり、この綱渡りのような不確かな感覚があるという認識だけは、常に持っていなければならないと、肝に銘じておかなければならない。

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