思考力

割り算で余らせない

死にかけたというか、死ななきゃおかしい状態で搬送された病院へ再来診察をした。特段懐かしい感じはなかったのだけれども、やはり苦しいリハビリをしながら、再び自分の足で歩けるともわからなかった、一年前の当時の自分の不安を思い出した。頭蓋骨二箇所、腰を一箇所の骨折。後々わかったのは、肋骨まで骨折していたというのだから、大怪我を通り越して、極楽へ向かう手前の三途の川で追い返されてしまったのかもしれない。こうやって、スケボーをして、ドライブをして、穏やかな気持ちでブログを作成していること自体、どう考えても「ミラクル」としか言いようがない。

今日は、整形外科の受診だった。地元の病院で絶望的な診断を受けた「腰椎分離症」。もはや一生コルセットか、数年に一度の手術しかないという宣告を受け、本当に精神的なショックは大きかった。ただ、セカンドオピニオンというわけではないのだけれども、死にかけた病院で、事故直後の脳の状態と、今の脳の状態を比較してもらうついでに、腰の様子も見てもらうことにしたのだ。これが、とんでもない結末に終わるとは、これまた予想だにしてなかった。

腰椎分離症というのは、青年期に腰を酷使する運動をしている人が患う「疲労骨折」で、まさに、野球選手なら半数以上がその症状に陥ってしまうと言われている。私とて、小学生の頃から、サッカーのゴールキーパーとしては、地元では名だたる存在ではあったので、やはり自分にもその症状の蓄積と矛先がやってきてしまったのだと覚悟していた。ただ、仮に、去年の自転車事故の段階で、腰の分離していると思われる「五番目」の部分に分離がなければ、私はただの腰痛であることになる。10年20年とかけて進行していく症状のはずだから、仮に一年前の事故のレントゲンで分離していなかったとしたら、私の腰の痛みは、腰椎分離症から来るものではなく、ただの腰痛ということになる。私の拙い文章力で、このロジックを解読していただけるかわからないけれども、とにかく自分は腰椎分離症という範疇には居ないという可能性があったのだ。

担当の医師は、やけに若い医師であり、少しやる気がないとも思われ、結構イライラしていた。ただ、一部の望みを捨てたわけではないのだから、ある意味では、この医師の診断次第で、私のこれからの腰との付き合い方が大きく変わって来るのだ。ふと名札を見ると「整形外科 医局長」というプレートがある。この病院の整形外科では、とりあえずトップなはず。だから、祈るような気持ちで診断を待った。すると、事故直後のレントゲンを見ても、腰椎分離症の症状はなかったのだ。レントゲンの角度次第では、分離しているように「見える」部分もあるし、実際には分離して「いない」場合もあるとのこと。つまり、今までの地元の医者の診断は誤診であり、この半年間の私の不安は、極論すると、取り越し苦労であったのだ。

まさに、その医師のネームプレートと、意識不明で搬送されて撮られていたレントゲンの証言は、明らかに信頼性がある。この時にはやはり「セカンドオピニオン」の重要性を痛感した。もし、その病院での腰のレントゲンがなかったのであれば、自分は一生コルセット生活に疲弊し、手術を受けるべき年齢を悩み続けなければならなかったのだ。それに、もし地元の病院で手術を受けていたのであれば、腰椎分離症でもないのに金属を挿入され、その後、数年に一回の手術を繰り返すことにもなっていたのである。これは、恐怖でしかない。

私は、双極性障害という診断をされるまで、数年かかった。「うつ病」と診断されたと思いきや、いきなり意識が飛んで「統合失調症」となり、内側から鍵を開けられない部屋に収納されてしまった。その後、何度も何度もいろいろな病院を巡ったのだけれども、結局、強制入院での診断を覆せるだけの精神科医などいなかった。しかしながら、何のつながりが導いたのだかわからぬが、今の主治医と巡り合い、問診後の一言が「双極性障害」という診断だった。これまた仮に統合失調症という診断を鵜呑みにしたまま誤診と誤薬を繰り返されていたら、確実に今の自分はいない。やはり、医者選びというのは、とんでもなく重要なのだ。

明日は、脳神経外科の受診となる。こちらは「脳挫傷」という一生消えない傷を負ってしまったのだが、それはそれと割り切るしかない。本当にポジティブに考えれば、頭と一緒に腰を骨折して、今日の誤診判定に気づけたのだから、これでイーブンとしようではないか。

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