思考力

振り返りて、先見する

新しい年を迎えるにあたり、最初に書くべきことはなんだろうか。取り立てて、改まったことを書くつもりもないし、かといって、過去のトラウマや苦しかったパワハラなどを書き連ねて行ったところで、縁起もよくないだろう。ポストには、東京の歯医者からの形式的な年賀状以外は来ておらず、私とのつながりを、年末から積極的に行おうという意気込みは、どこからも感じることはなかった。年賀状以外にも、2通、郵便物が届き、それを届けてくれた郵便配達員にお礼を言って、それが今年の人との会話となった。「ありがとうございます」。このセリフならば、今年の駆け出しとしては、十分上等だ。

そんな中、年末に大掃除をしたのだけれども、何やら地味に散らかっている部屋の中で、年末に冷蔵庫を占拠したふるさと納税の返礼品の野菜を元にストックした、シチューやカレーが冷蔵室に詰め込まれているので、おせち料理を改めて買うことなく、自作の野菜シチューとハンバーグを、土鍋で炊いた米と一緒に、腹に入れた。年末年始に、大宴会をすることもないし、そもそも断酒して一年以上経っているから、それほど豪華な「縁起物」の食べ物を用意して食べる必要もなかった。

料理を作りながら、ふと思ったこともあって、塾の講師という非常勤の立場と、どこかのアルバイトを比較してみた。塾講師の経験がある人ならわかるオチなのかもしれないが、改めて考えると、全く解せない話になる。この季節であれば、どこも冬季講習で多忙な時期。しかも、直前期ともあれば、塾は、正社員も生徒もとんでもない緊迫感で、まさに戦場と化す。では、ここで10時出勤の23時終わりの拘束勤務時間だとしても、フルコマで授業を持たせてもらえるほどの非常勤講師というのは、非常にレアで、しかも、これに加えて、待機時間のはずのところに、質問対応やら電話とり、コピー機の補充や自習室の監督などが出てくる。そこに発生する給料は、全てノーカウント。これを、他の業種と比べてどうのこうの言っていても仕方ないのだが、そこにやる気と情熱を注ぎ込んでいる講師が、信じられない非合理的扱いを受けるのは、到底理解できるものではない。

信念早々、やはり理不尽なことに対しての愚痴になってしまったが、ここまで書いた記事を白紙にする勇気もないので、どちらの方向へ舵を取り直そうか考えてみる。昨年は、「疲労骨折」という誤診とともに絶望を伴った痛みに耐えていたのだけれども、結局それは「ヘルニア」であり、コルセット生活からの脱出が叶った。そして、自分でも、何かに取り憑かれたように、海へ行き、そこでスケボーをかっ飛ばし、興奮を収めるように、YouTubeの音声で、「耳学」をしていた。自分にとって、この流れは、とても有益なサイクルであったと思うし、今年もぜひ続けたいメニューでもある。心身を整える、ストレッチやヨガ、瞑想も、年末のどさくさに紛れて、チョコチョコと取り入れていたことなので、こちらも生活に密接にさせたい習慣でもある。

今日、一番書きたかったことを、書き損ねていた。今日は、とにかく長く眠った。12時間以上になる。年末の疲れを、新年の始まりに向けて癒していたかのようだった。昨年購入して良かったものの上位に「アップルウォッチ」が挙げられるが、昨日の睡眠の中で、覚醒時間が「1分」だった。12時間睡眠で、1分しか覚醒しないで眠り続けることができたというのは、これまたハッピーな現象である。今日から明日にかけてみる夢は、「初夢」とも言われるが、こんなにグッスリと眠れたのであれば、厄落としをしつつ新鮮な気持ちを持っても十分その資格はある。このご利益には感謝していきたいものだ。

今、ルンバを作動させるために、床のモノを全て上に上げて、愛機を通りやすいように拡げた。このロボットも、昨年は色々とトラブルがあったにせよ、憎めないヤツであり、良い仕事をしてくれるようになった。上にあげた観葉植物も、枯れ果てたと思いきや、鉢を変えたら見る見る成長しつつ、カーテン越しで1日にして枯れ果ててしまうものもあった。決別した観葉植物もあれば、一番最初に買った大きめの「ポトス」は、もう鉢から溢れ出すような勢いで成長している。下からどんどん黄色くて新しい葉が出てくる。他の観葉植物もおおかた元気がいい。一年前の正月、自分が観葉植物を育てることになるなんて、思ってもいなかった。今年も、何かの拍子に新しいことを始めるかもしれない、それは、大きな期待感をもっていてもいいことだ。

そう、昨年の途中から始めた、このブログ記事をYouTubeに音声としてアップロードするようになったことも、自分の中では、大きな変化だと言える。いや、最も大きな変化だ。正直、最初の頃は、1日で8本くらいの記事を動画に編集していて、過去の自分と向き合うことの苦しさを味わい、とても辛い思いばかりしていた。それからは、その日に書き上げた記事1本のみを動画にするようにしている。これで、自分の心に負荷をかけすぎることなく、自己を発信することに成功したのだ。これこそが、今年の創意工夫の的となることは間違いないし、この発信からの新しい出会いに大いに期待することは、絶対に間違っていない。今年1回目の記事作成と、動画アップロードは、まさしくこの「決意」で幕を開けよう思う。

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