思考力

極貧の障壁

昨日のブログは、思いっきり書きかけの状態だった。サムネイル画像もタイトルも入れていない、いわば「のっぺらぼう」の記事。読み返すと、読めなくもないが、尻切れとんぼな文章で薄利がない印象。やはり、自分の中のイメージを途中で切り取ってしまうと、全体のイメージが歪んでしまう。これは、生きる上での考え方とも似ているのかもしれない。自分が継続していた何かを、ふとした瞬間に切り離してしまえば、そこから先は凧の糸が切れてしまったように、どこへいくとも分からぬ浮遊した状態になり、自分でも収集がつかなくなってしまうのかもしれない。

とうとう食糧と金が尽きてしまった。昨日の夜、あまりにも腹が減りすぎて、最後のお金を持って、コンビニへ向かった。寒空のもと、同じ失敗は避けるために、睡眠薬を服用しているから自転車には乗らないで歩いていく。安いパンと菓子をギリギリの値段で買うが、どうしてもレジでの計算が合わない。その頃には既に、睡眠薬が身体中を駆け巡っていたことが分かる。なんとか買えたパンをかじりながら、フラフラとした足どりで自宅へ戻る。こんな状態で自転車を運転していたのだから、頭蓋骨を骨折するのも無理はない。家に帰って、貪るようにして買った菓子とパンを食った。目覚めれば、食い散らかした残骸が残っているばかりだった。

千葉に移住し、もう5年以上経過し、本当に悔やんでいることは、就職先を間違えたことと、母との時間を思うように取れなかったことだ。前者がブラック企業だったから、後者が達成できなかったというのが本当のところだが、やはり、母との大切な時間は、もっともっと作るべきだった。特に、父との出会いや、高校の制服すら買えなかったという母の貧乏だった暮らしを知りたかった。それとは対照的に、自分はなんて贅沢な暮らしをしてきたのだろう。おそらく、自分が味わった苦しみを、私には味合わせたくなかったから、私に金銭的な苦労を与えたくなかったのだろうと思う。

母を亡くし、一年半。結局、自分は母がいなければ極貧状態だということが分かる。何でもかんでも与えてくれる人はもういない。ただ、これが真実なのだ。さんざん甘やかされて育った自分が路頭に迷うのは、当然の結果と言えよう。そう考えれば、自分が塾講師や予備校の講師をやれたのも、このような親のバックボーンがあってからこそなのだ。貧乏がどれだけ苦しいかが、今はとてもよく分かる。行政の力も及ばないほどの極貧状態。これを乗り越えるのは至難の技だが、これこそ今の自分を超える高いハードルなのだど肝に叩き込むべきなのだ。

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