思考力

桜の切れ目

今朝は、何やら寒い。現在の気温も、14度とはいえ、やたら寒く感じる。今日が自分の誕生日だからというのか。日本人の平均寿命を考えたら、あと半分「も」生きなければならない。その半分の間に、四苦八苦しながらも、グレーゾーンを引っこ抜いたら、楽な方というか、楽しくて幸せな期間が長く続くと良い。ただ、何を持って幸せと定義するのかは微妙なところで、日本に産まれたこと、愛すべき母の元に生を受けたことなのか、波乗りで無心に波に乗っていた僅かな瞬間であるのかは、正直なところ分からない。半年前の自転車転倒で頭蓋骨を骨折した時などは、どんなに健康に注意したところで、一瞬で「あの世」行きだったのだから、毎日を充実させられるような生き方を選別しておいた方がいい。これは、当然といえば当然のことだ。

千葉の桜の名所で生活している今、東京の桜の名所で40年以上生活していた自分。やはり、「桜」を絆として、自分は何かに結ばれているのだと思っている。40年以上前、母が苦しみと痛みに耐え、私を喜んで迎えてくれた人生を無駄にはしたくない。桜の森の満開の下には死体が埋まっている、と書いている作家もいれば、私が生まれる前に亡くなった祖父の命日が、私の誕生日だった事もあり、やはり何らかの絆があるはずだ。桜と自分の生命が地球に誕生したということを考えると、何やら趣深いとも思うが、それを自分自身の中で真にありがたいことと理解するためには、もう少し時間がかかりそうである。

スマホを開くと、友人からのお祝いメール。私を常に見守っていてくれる大切な友人。自分の置かれた状況に、何一つ不平不満を言わない素晴らしい友人だ。このような友人に恵まれた事も、やはり自分が生を受けた中で、大切なプレゼントだとも思っている。これから50歳へ向かって生きていくことになるのだが、守りに入るのか攻めにいるのかは、未だ不明なところ。これまた、そもそもの話、何をもって「攻め」と「守り」の線引きをするのかは不明。結局、誕生日という一種の「境目」にいる時に、自分の周囲にくるりと包囲している何かを、少し冷静に見つめていたい者である。

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