思考力

志す

「志の高い人」。どんな人なのだろうかと、東京から千葉外房へ変える電車の中で考えていた。どうしても、新鮮な状態で、ゆっくりと考えたかったから、特急の電車の中で、ゆったりとした独立シートにもたれかかりながら思いを巡らせていた。今日は、不思議と強烈なフラッシュバックは起こらなかった。それは、車を運転せずに、電車で東京まで移動したからなのかもしれない。体重計のメモリが減っていることからも、とりあえず肉体的に疲弊していることは明らかで、身体が疲れているときに、心までへたるとバランスがなくなるから、本能的に心のガードができていたのかもしれない。

先に戻る。志の高い人。これを考えるにあたって、反対側にいる人は、「視野が狭い人」だと考え、その反対側を考えれば、答えが出る。このパズルのような考え方を、私の語彙力でカバーするのは難しいのだけれども、とにかく、視野が狭い人について考えた。自分が、学習塾の講師をしていたときに、自分の考え方に固執するあまり、こちら側を攻撃していくる生徒について話をしたクラスがあった。そのクラスでの解説が、見事に視野が狭い人の解説になっているので、今からそれを語ろう。

視野が狭いということは、自分の従来の考え方から離れられない人であり、自分の空に閉じこもって出てこない人だ。ここで、自分の考え方が定まっていないというわけではなく、自分の考え方が確立されたものだと固執するあまり、教える立場の指導を受け入れられない生徒が該当者だ。そのような生徒というのは、受け手としては最悪であり、あまりにも自分の考え方が凝り固まっていて、最終的には、自分の考え方を押し通そうとするあまり、こちらの授業を破壊するような暴挙に出た。これが、私の大きなトラウマとなってしまい、今の”PTSD”のトリガーになっているのだが、この正反対にいる人こそ、「志の高い人」だと言える。少なくとも、今の自分はそう考えている。

今日、東京へ向かう途中に、電車に揺られながら何を考えていたのかもよく思い出せない。ただ、確かに目的地には新しい出会いがあって、帰りの電車の中では、その人のことばかりを考えていた。自分の生活がありつつ、そこの隙間にできた時間を、勉強に当てている。入試といえば、直前期という差し迫った時期にもかかわらず、自分の夢を目標にし、それを達成するためにしていることを明るく話してくれた。まさに、自分の職業は、英語講師であり、さらにオンライン予備校の代表でもある。受験という枠組みはあれど、真に学問に取り組むという姿勢は、自分の「共育理念」には、合致していた。

東京の歯医者の診察で、自分のはの痛みの原因は、電動歯ブラシを強く押し当てたことが原因だということが分かり、早急に治療が必要なようだ。何としてでも、年内には治療を終わらせたい。手で歯を磨くという習慣が、いにしえの慣習であったということが、あと10年くらいしたら聞こえてくるかもしれない。だから、今後は正しい電動歯ブラシとの付き合い方を考えてみることが大切だ。手で磨くという昔に戻るのではなく、あくまでも姿勢は「前」に向けていきたい。もちろん、その道のプロである歯科医師が、私の歯並びに、電動ブラシは合わないというのであれば、舵を昔に戻す。それは、指導者の指示に忠実に従うということでもある。

その痛みの患部に舌先を当てながら、やはり今日出会った人の志の高さを追憶していた。悪いことと良いことを同時に考えられるほど、人間の脳はうまく作動しない。少なくとも、私の脳みその構造は、単純な回路でできているみたいだ。だから、このような人との出会いというのは、極めて大切なのだと思う。別れ際に、このサイトのURLを伝えたのだが、果たしてたどり着いてくれているのだろうか。あまりにも、自分の目標が高くて、あまりにも自分の夢の中にいられる人ならば、このサイトに訪れることはないかもしれない。だから、この記事は、他ならぬいつものブログ読者や、YouTube視聴者の方への配信になるのかもしれない。

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