思考力

カレー拉麺

東京にいた頃、超絶にハマったラーメン屋がある。チェーン店ではないのだが、とにかく美味い。最初は、豚骨スープの匂いがキツく、女性受けはしないのだが、一回、また一回と食べ続けているうちに、再び食べたくなる味とニオイ。これには、強い中毒性というか依存性があり、まるで中学生が格好つけて、無理してタバコを吸い続けてやめられなくなるのと酷似している。もう、故郷に帰るのなど、半年単位なので、滅多に喰えないが、やはり再び口にすると、懐かしい依存していた頃の味だということを強く思い出す。もし、全国展開するようなことになったら、私は間違いなくラーメン漬けの豚になっている。

だが、そのような依存状態に再び陥っている食事がある。カレーだ。このカレー店は、全国展開しているカレーや故に、逃れたくとも看板が目に入ると、そのまま足がその店へ吸い込まれてしまうようだ。もちろん、そこまで酷いものではないけれど、先日そこのカレーの新作を食べたら、信じられぬほど美味い食感で、昨日などは、土砂降りの雨の中を、傘をさしながら向かっていた。ただ、私のアパートから最短距離で行くには、田んぼ道を抜けていかねばならないので、とにかくぬかるんでいる。車道と歩道の分離帯もないから、歩道に水が溜まっている部分は、軽く水たまりになっている部分さえある。

すると、私と対抗する角度で飛び込んできた車の泥水が、バシャっと私に飛びかかったのだ。すぐさま後ろを振り返ると、その車のテールランプも光っていたので、私の様子を気にしていたようだ。こんな状態で故意に水をかけようとは思わないだろうし、向こうも悪気があったわけではない。すぐさま踵を返して、カレー屋へ向かった。ズボンはびしょ濡れの状態であった。そこのカレーを喰っていれば、不愉快な気持ちもすぐさま忘れていた。精神安定剤としては良いのかもしれないが、最近どんどん膨れ上がっていく腹と、逆にどんどん貧相になっていく財布には、あまり好ましくない状態である。

ここまで引っ張っておいて何を言いたいのかといえば、相手を傷つけるつもりはなくとも、自分の何気ない言動で、酷く相手を傷つけてしまいかねないということだ。かつて、からかったつもりの言動が、そのまま相手を深く傷つけてしまった事ももちろんあった。しかし、無意識のうちに相手をきづつけてしまった事だってある。急に相手が素っ気ない態度になった時などは、やはり自分の中で何が原因だったのかを内反する事だってある。もちろん、あからさまに自分に対して不躾な行動をとっているのならば、こちらとしてもそれなりの態度にならなければならないが、やはり、自分の分からないところで、誰かを深くきづつけてしまっていないかを注意していなければならないという事は、どんな人でも共通のルールにしなければならない。

せめて、自分とすれ違った誰かが、不快な態度をとったとしたら、せめてミラーを見てブレーキを軽く踏んで確認することくらいはすべきである。その程度のことをいちいち考えている余裕などないと感じている者は、やはり誰かを無意識のうちに深く傷つけてしまうことが多々あるのではないだろうか。仮に、自分の目的地までの到着時間が遅れてしまったとしても、心のゆとりを持った安全運転をした方が絶対に良い。

依存しているカレー屋までの道程で起こったアクシデントだったが、その一つからでも何かを得ようとする気持ちだって、とても大切にしなければならないとも言える。ただ、理不尽だという反抗的な気持ちを胸に秘めたままなのであれば、それは間違いなく心のバリアということで、自分の心の負担を大きくにしかかってしまう障害となってしまうことだってあるからだ。

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