思考力

染み渡るエキス

まるで、ジェットコースターのような寒暖差である。花見の季節だというのに、とにかく気温が低い。最近、ラジオで知った言葉であるのだが、このような時期に寒い状態を「花冷え」というらしい。私の持つ双極性障害と同じような傾向だ。私の場合、双極性I型という、躁の状態が強く出るタイプで、さらに、鬱の状態で抗鬱薬を服用すると、一気に躁転してしまうという、双極性障害の中でも、かなり厄介なポジションにいるそうだ。

この状況を寛解させる為に、千葉外房から2時間半以上かけて、東京の病院へ通っているのだが、なるべく人生をフラットな気分で過ごしたいので、その長距離の通院は、全く苦にはならない。もし、現在住んでいる田舎に、東京の医者と同じくらい腕のたつ医者を探し当てようものなら、私は爺さんになるか、はたまた内側から鍵が開かない、昔入っていたVIPルームに招待されることとなる。それだけは避けたい。

私の持つこの病気は、夜眠れず、朝起きられないことばかりではなく、朝方の不調がウソのように、夕方に一気に回復することがある。こうなってくると、周囲の人に、私の体調のことを理解してもらうのが難しくなる。別に仮病を使っているわけではないのだが、やはり、健常者には分かってもらえない。今後、医療の発達に伴い、躁状態と鬱症状の体温計のようなものが開発されないかと心の底から思う。やはり、外側から見て判断されづらい病気であるからこそ、そのような医学の進展を、私は求めている。

これは、私だけではなく、心を病んでしまった多くの人も、口を揃えて言うはずであろう。目に見えない苦しみを理解されない苦しさ。では、逆に、目に見えない大切な何かを信じるピュアな力などはいかがだろうか。子供の頃に、サンタが来ると信じていたあの頃。イチョウの葉を貼り付けて押し花のようにノートに模様を創っていたこと。スタンプラリーへ行って、帰りに母の背中で眠りこけたこと。すべての心の動きを、文字に起こすことはできても、それを数値化することはできない。そして、このような幸せな思い出というのは、心の奥底へ、そっと仕舞って置きたいものだ。

つらかった思い出。感動するような過去の体験。そして、そのような光と影があるということ。このような数値化できない経験は、滲み出る言葉や雰囲気の端々に出てくるもの。きっと、それは当たっている。そうなのであれば、45年間生きてきた自分の体験を語り、そこを礎にした経験を含有させて、人の心の動きを傾聴できるはず。それこそが、真の心の広さに繋がっているはずだと信じている。

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