思考力

整理された空間

1日に2回海へ行く。そして、今、日付をまたいで帰宅してパソコンの電源を入れる。昨日の夜に書き上げたブログを、3つの角度から再考し、3つの動画を作った。海までの道のりも、動画の編集も、随分と慣れたものだ。2回目の海へ向かうドライブの目的は、温泉施設に行って、さうなに入りたかったというもの。「死にたくなったらサウナに行け」なんていう動画のサムネイルもあったくらいだし、それに近いことを言っているインフルエンサーもいた。そして、そんなインフルエンサーも、水風呂に恐怖を抱きつつ、サウナのローテーションの水風呂で整い、自分のサウナを運営するほどだ。やはり、最近の精神的不調を「整える」ためにも、私にはサウナが必要だと判断した。

午前1時を過ぎると入館料が倍以上になってしまうようで、かなり時間制限ができてしまい、正直なところ落ち着いた状態ではなかったのだが、やはり自分の体質では不可能だと思っていた水風呂に入り、ある一点を超えたときに感じる至福の時を満喫するには十分であった。こう考えると、まさにインフルエンサーの「影響力」をダイレクトに受けたと言える。愛車ともずいぶん仲良くなれて、今までの車では抱かなかった感情である「車と仲良くなろう」という気持ちが芽生え、このボタンを押すとこんな使いもしない機能があるのかと思いつつ、その機能をできるだけ活用してあげれば、その機能が愛おしくなり、どんどん気持ちが通じ合うようだ。

こうなってくると、生活にも張りがでてくるのかもしれない。車に乗るのも楽しいし、スマホとナビをBluetoothで繋いでしまえば、音声だけでいつも楽しんでいるYouTube動画や、誰かと行くと歌えないようなマニアックな歌を、車の中で大音量で流し、それを歌うことだってできる。私が大学生の頃などは、車の中では自分のお気に入りのCDをテープにダビングし、それを幾度となくリピート再生していたものだった。そんなテープを作りたくて、CDショップで新しいCDを買い続けていたのだから、とんでもなくコスパが悪いドライブであった。当時を知っている自分からすれば、何ともいい時代になったものである。

記事を書きながら、自分の心がいい感じで踊っている感じがする。やはり、サウナ効果なのだろう。このまま体内時計を戻すためにも、釣具を車に突っ込んで、釣りに出かけようかとも思っている。朝日が昇る前に出かけないと、そのモチベーションも消え去ってしまいそうなので、早めに行動に移そう。いつもは、記事を書きながら自分を奮い立たせようという文体になっていくのだが、この記事では、最初から指が高く上がりながらタップできている気がして、心がいい方向へ動いたのだと感じる。やはり、サウナに行ったことは正しかった。

このまま記事を書き上げたら、動画を数本作って、そのまま釣りに行こう。そうしたら、朝日と共に釣り糸を垂れてしまえばいい。そうしたら、ある意味で勝ちだ。自分を奮い立たせるという表現もあるけれども、それとは少し違い、自分が自然と自然に向かうというか、結局は自分の本能がより良く生きたいという方向に流れているのだ。なにも、自分を叩き直す必要はない。自分は自分から離れられない。そんな当たり前のことだけれども、最も大切なことを忘れてしまっていたのだろう。このまま流れいく先が、明るく豊富な光に包まれればいいという当たり前の結論で終わるけれども、そんな当たり前のことだからこそ、今回の記事は、自然な流れに沿っているのだと信じよう。

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